今でもたまに見る体育の時間の悪夢について

自分は、中学の時に、体育教官に集中的にいじめられていて、それはひとつ、内申書の小学校の時の非行履歴なども関係があるだろうが…家庭の状況が悪かったので…体育教官である大人と、格闘していたという経験がある。

一度、クラスの女の子が、どうして自分をいじめるのか、体育教官のTに問い詰めたことがあるのだが…保健体育の時間に…何が、彼をしていち学童にしかすぎない自分をイジメさせたくなるのか、今考えても不思議である。

Tは、“お前、○○に気があるんじゃないのか”などと言い返し、Sちゃんは、その場で泣き崩れてしまっていたよね。それになにもできなかった自分が悔しいというかね。

自分はADHDの傾向をもっているので、似た仲間である暴走族をやっているような不良にはイジメられるタイプではない。とにかく、あの、体育教官にイジメられていたのだよね。すると、それに同調する勘違いなやつも出てくるじゃない。

体育というのは、外側から、体を操作する、コントロールすることを仕込む時間なわけだ。自分の場合、母親が学生のころから踊りをやっていて、踊りの体というのは、体育と逆で、内側からなんだよね。母親からの影響が大きいと思うわけで、母子間の身体性というのは感染するわけだよね。

自分が勉強の成績は良い、ということもあっただろうが、なにかこう、体育という方法論に、決定的になじまないなんらかの要素を自分がもっていて、それがひどく鼻についたのではないか。まあ、動き方みたいなものだね。

そして実際に、自分は、体操的なものはバランス感覚があってうまく、クラスのみんなも、ある競技においては、一目おくような存在でもあって、Tもその時は認めざるを得なかったよね。ただし、野球みたいな、対象物を追いかけるようなやつはまったく苦手である。

 

※時代は校内暴力全盛の時代。校内の不良の管理を、ヤクザまがいの教師であるTが一手に請け負っていた様子が見られた。たぶん、Tも、かなりギリギリの精神状態の中で、日々を過ごしていたのだろうと、今は、思い返すことができる。