“点”というものを知覚と不可分とする世界観の構成 しおりちゃんのトゲ

“体が3次元とは感じていない場合 

地球は3次元ではなく 円周が回転しても 球にはならないので

地球は5角形で沈み落ちて 5角形で引っ張り、押し上げる

無限のトゲトゲの集合体の様に感じ

ウニや栗に尻もちをついたら痛い記憶は世界側でなく

細胞の方が持っているから刺さると痛いと感じる。”

https://twitter.com/oauein/status/1160107788908892163


納豆的なねばねば、つまり外部的な観察ではなく、菌的な、生成としてのあり方が、4次元であり、4次元としての地球である、と。

体が3次元ととらえるような、認識のあり方が、地球を3次元的な物質対象たらしめている、と。

それは、2次元としての回転運動が、3次元としての球にならないのと似ている。


五角形というのは、五芒星や黄金比と関係し、生命原理と関係していると考えられている。

しおりちゃんの使う“トゲ”のニュアンスは、古代の“サキ”の語のニュアンスに近く、サキは先であり、裂きであり、咲きであり、というように、点としての“空間”である。

空間として裂けて、開けてくるような、“点=トゲ”なわけで、3次元的に距離をもたされて認識される“点”ではないということ。


3次元的な点と、四次元的な点の違い。四次元的な点は、トゲや針として、“刺さると痛い”という“知覚”の次元を、つねに同時に抱き合わせているということ。

これは、シュタイナーのエーテル体の定義、生命感覚と、思考とが、裏腹で、抱き合わせの関係となっている、というのと似ている。

シュタイナーの時代は、近代の、科学主義の台頭の時代で、生命感覚を削ぎ落とすことで、一般的で抽象的な空間、世界観のあり方が、人間の日常に広がっていった時代である。そこに人智学は警鐘を鳴らしていった。

シュタイナーの文章は、そのような科学主義の台頭を意識しており、科学主義者に対して、スキを見せないように、念入りに組み上げられていることから、ふつうの庶民にとってはとっつきにくい側面もあるとのこと。


一般性の科学は、その生命感覚の側を切り捨てて、客観物の次元で、世界モデルを仕立て上げていく。変化する知覚という、観察における変数の部分を削り落とせば、モデル化はより単純に、容易となる。

(体調が不安定な女性を切り捨てて労働の生産を組み上げれば、計算能率が上がり、経済的なリスクが軽減される、といった指向とパラレルである。一般モデルの仕立てやすさと、その仕立てにまつわるリスクやノイズの問題なわけである。)

病院に行けば、向こうは機械の計測データを相手にしていて、こちらのことはおざなりとなっている。昔の内科医と根本的ななにかが違う。そういうことと同じである。


“円周が回転しても 球にはならない”。

客観データの世界は、距離をもたされた、視線の、眺め回しであり、円周の回転に似ている。ぐるぐる、その一定距離を回ることで、その一般的な定義を確定する。

(ヌーソ○ジーでいうところの、“表相の等化”である。)

●表相の等化(ひょうそうのとうか) 自己側の表相と他者側の表相が等化されるということ。

他者の表相をユークリッド的線として見えさせ、その線を自己側にもコピーさせるということ。結果的に人間の位置を三次元の中に投げ込む契機を作り出すことになる。

人間の意識に客観性を作り出させる原因となるもの。モノが見る者と見られるものに完全に分離し、見る者としての空間が見られるものとしての空間を失ってしまうこと。人間の意識が進化の方向を見失ってしまうこと。

人間が存在しなくても世界が存在するという考え方を人間自身が持ってしまうこと。精神の内面が顕在化を起こすところ。近代的思考の誕生。

(表相の等化が引き起こる原因そのものは、上次元にある。そのようなイデアックな次元における等化の回転運動を、そのまま人間の知覚にベタに引き下ろすと、近代的な客観主義科学としての、反動が、人間の意識や社会に引き起こるということ。)

(上次元の回転運動=等化を、人間の知覚に引き下ろす場合には、“皮膚感覚”が窓口になる。皮膚感覚は、球面を構成している。つまり、上次元の円~回転運動が、下次元の球面に、トポロジー的に対応しているということ。それを、視覚の回転にそのまま引き下ろすのは、カテゴリーエラー。)


トゲが刺さって痛い、というのは、知覚そのものと不可分で、距離がない。これが、“球面”を構成しているのだ…“無限のトゲトゲの集合?”

この部分は、ヌーソ○ジーで言う、超心点と地球の関係に似ている。

超心点は、触れることと関係している。つまり、球体的な感覚と関係している。

このような球体との接触点が、“反転方向”をもたされることで、5次元的な“一点”に収縮した点が、顕在化としての“重心”であり、潜在化=超心点、顕在化=重心の、トポロジー変換が為されている、とのことである。