“祭りの子”は、顔がどのメンバーに似ているかで父親を特定

“よみがえる女神 清水友邦”では、古代=女の時代における、母系性社会の様子、すなわち、婚姻制度以前であり、男の通い婚であり、母親はその子の父親を特定できず、顔がどのメンバーに似ているかでおおよその父親を特定する、ということだったらしい。

社会学者M氏の紹介する、ひと昔前まであった“祭りの子”というやつがそうなのだろう。…ただし、“乱交”ということではない。よばいをかけた男子に対して、その女性が拒否すれば、男子はそのまま引き返すこととなる。また、関係はやはり、一定期間、続くのが原則だろう。

そしてある日、同様に通っていた女性の家によばいをかけた時に、“先客”がいれば、その男性はそのまま帰ることになる。その女性の未練から、しつこく後を追いかける、などの行為は、もっとも“恥ずかしい行為”であり、要するに、そんな評判となった男は、後、その集団の中でたいへん窮屈になる。

“祭り子”が生まれるような、祭りの無礼講の実態は、ある種の“先祖返り”なのだろうが…脱コード化の領域を確保することで共同体メンバーはいろんなウサ晴らしをする…であるにしても、びみょうに、“おかしく”なっていったのではないかと予測する。

近代的自我をもった私たちが、古代のあり方にそのまま回帰することは不可能だろう。あるいは、なんらかの工夫で、その自我の力を弱めることで、それに近い状況を実現することはできるかもしれないが、ある種の“実験”にとどまり、“回帰する”ことそのものは、むずかしい、…意味が無いだろう。