オカマのシャーマンが“覡(げき)”だろうか?

古代の祭祀は、シャーマンにより担われていて、“巫祝(ふしゅく)”という言葉がある。そして、巫祝は“巫覡(ふげき)”に分かれ、巫は巫女、覡(げき)が男の巫女である。

おそらく、オカマ的な存在と、この覡(げき)が、部分的に関係しているのではないかと考える。オカマは、戦士としての男集団、男社会のイニシエーションから漏れてしまっている。これは、覡(げき)として、シャーマン集団に引き取られていたのではないだろうか。

昔は、産婆というのがいたらしい。巫女と、産婆というのが直接的な関係にあるらしい。出産に失敗し、死んだ妊婦が、土偶として祀られているという説がある。“妊婦の腹の中で妊婦と一緒に死んだ胎児をそのままにすると、その魂が迷うので、必ず引っぱり出して、祀りの儀式をする、とのこと。

“よみがえる女神 清水友邦”でも、明治期に、産婆(巫女)が、墓場から死産した妊婦を引き出して腹を割った事例があって、処罰を受けたことが紹介されている。その際、死んだ胎児に母親代わりの藁人形を抱かせるが、これが“土偶”と同じだろうと考察されている。

産婆は、子供を取り上げる仕事をやる職人であるとともに、巫女であり、その行為や、出産という現象そののを、古代の祭祀における世界観の中心に位置付けていた。産婆の手が、“産み”の行為に直接関わっており、その時に、神の介入と、地上の人間である産婆の手が、触れるということ。

出産の儀礼は、いわば、この生まれている世界の、縮図であろう。その仲介を、産婆である巫女が執り行っている。したがって、“死産”、なかんずくそれにより母子共に死ぬできごと、事件が、とても重要視されてことが予測できる。それは明らかに、司祭としての巫女そのものの存在を脅かしている。

母子が死んだのは、仲介人としての巫女の、“力不足”だと認識されたと思う。そしてその力とは、“産みの神”を“召喚”する呪術的な力能の不足であり、それはそのまま、巫女の、精神的な修行、肉体的な技能の不足に由来する。そこは、謙虚に反省されたはずである。

儀式的には、“成就が成らず”であり、中途半端となっている。これを再び、別の次元に引き戻し、母子一体化させた後に、お祀りする。(土偶を作ることの意味合い。)これは要するに、そのような不幸のあった母子の魂が、あらたな次元で、今度は、私たちの出産を助けてください、というお祈りだろう。

不幸な死に方をした妊婦が、産婆~巫女に土偶として祀られることで、今度は、出産神としての蛇の神様を助ける、ヘルパーとしての精霊の立場に変わるわけである。これは、当時における祭祀の全体性の中にあって、合理的な処置ではないだろうか。

妊娠や出産における事故の発生は、災厄のパターンだろうが…それはめずらしいことではなかっただろうが…“おかしな子が産まれる”ということも、やはり、産婆=巫女の“力不足”とみなされたのではないだろうか。結果、そのような子供たちを責任もって面倒をみることが、

巫女たちの祭祀的な職能集団=シャーマニズムに含まれていたのではないかと予想する。その中に、“男集団に適応できない、性別は男の個体”が含まれており、これが“男の巫女”としての覡(げき)、男シャーマンになっていたのではないだろうか。