“表相”について
●妄影 人間にとっての目に見えるものすべて。
●音 共性された次元における力。重心が作り出すもの。
これは、ヌース辞書からの引用である。
人間の眼~視覚が、“妄影”を構成していると書いてある。
これは、仏教的な、人間の意識における迷妄、つまり“色(しき)”の概念に近いのだろう。
人間の意識は、視覚的対象化としての色(しき)の世界に落ちることで、その迷妄を生きているということ。
よって、仏教では、眼を閉じて…瞑想…お経を詠じて、より高い意識である音声の世界に入る。
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ヌース用語の基本に“表相(ひょうそう)”がある。
これは、視覚と関係している。
●表相 人間にとっては特定の角度から見た一つの対象の見え姿(瞬間性)に対応する。
人形に視線を向けると、そこに人形の正面像が映る。
これが、表相である。
人形を手にとって、クルッとひっくり返しても、そこにはまた、“表相”がある。
子供のころ、人形の裏に、なにかがあると感じられた。
しかし、ひっくり返すと、そのなにかは消えてしまう。
大人になると、それは当たり前となる。
前には前の表相があり、裏には裏の表相がある。
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(子供のころに感じられた、裏としての実像を、“表相の対化”という。表相における表と裏が“対化”していて、それがそのまま、
“私の表相”と、その裏側にある“あなたの表相”という、“自己と他者との表相の対化”を、
表相は、原理的に構成しているというのが、ヌーソロジーに独特の考え方である。
子供は、3次元化としての対象化の認識のあり方にまだ囚われていないので、4次元空間としての“表相の対化”が見えているが、
実知覚としての視覚においては、正面をひっくり返せば、それは裏としての正面=表相であるので、
表相の対化は、直観的な、ある種の未然性の中にたたずんでいる、という状態があるといえる。)
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