2019-07-21から1日間の記事一覧

顕在化未満の時代の中で、ヌーソ○ジーの身体論へのアプローチが潜っていったのではないか (190行)

ヌーソ○ジーは、ヌーソ○ジー言うところの“人間の意識の顕在化~精神の覚醒”における、身体性を扱っているだろう。そして、それは2013年以降に、広範に起きてくるできごとであるとされている。ところが、ヌーソ○ジーそのものは、それ以前…1990年くらいから…続…

“光が虚を生んだのではなく、虚が光の起源となった。水の起源は“落ちる”” (302行)

“光が虚を生んだのではなく、虚が光の起源となった。水の起源は“落ちる”。光が水を利用しようとした企てが人間意識の歴史。光に至るのは人間を超越することで可能だが、水を感じるには人間を産み出した天秤の概念自体から離れることが必要。この似て非なるも…

“地表面を蹴りジャンプして光になろうとしている。重力(闇)は地面を蹴るのにどうしても必要なので感謝して有り難く利用する。”

“人間全体が今、第2の起源に向かっている。地表面を蹴りジャンプして光になろうとしている。地球から離脱し月を踏台にして太陽へと飛翔。重力(闇)は地面を蹴るのにどうしても必要なので感謝して有り難く利用する。地面を蹴る瞬間が光と闇の統合となり、その…

ヌーソロジーと目の関係

“視覚”というのは、ヌーソロジー的には“低位の知覚”なわけだから、“視覚論”もまたその次元をめぐるものだろう。 -引用-人間の五感において視覚が最も次元が低いのでしょうが、その他の感覚についてはどのように考えればよいのですか。 視覚、味覚、嗅覚、…

本当の私としてのリンゴの内部空間に侵入することが生きながらにして死ぬことに同義(141行、29ツィート)

個人的には、とくに、ヌーソ○ジーの知覚論に、いまだ、自分の感覚とのしっかりとした整合性を見ていない段階であるが、“奥行きの子供たち”に出てくる、“奥行きと“見ること”について”の話に関して、このようなことが書けるのかな。 ヌーソ○ジーにおける“奥行…