点が双子としてあるということの具体性

“点が双子としてある”という感覚は、女性がつかめるものなのだと思う。身体感覚であろう。具体的には、子宮という器官が関係しているのではないか。しかし、子宮感覚は説明がむずかしく、結果的に、社会的な広がりをもたされにくい、と。(古代の祭儀は女性に限定されている。)

そのような無意識的な領域に“性”があり、女性における性的な身体感覚が、芸能を通して拡張される中で、自己と他者の本質としての点の二重性のようなものが、非言語的なレベルで広がりをもっていたのではないか。

巫女、神殿娼婦、歩き巫女、遊女、などの流れ。人間社会における言語的なの意味の体系が巨大となると、そのような“身体知”が喪失されていく。すると、巫女は、神殿から追い出され、放浪の旅に出る。