カカ、ハハともに蛇の意(その2)

民俗学者(?)の吉野裕子さんの蛇に関する著作を読むとき、ずっと、ヌースとだぶらせながら読んできた。

その意味では、ヌーソロジーをやっていなかったら、おそらく、吉野裕子さんの研究の深層部分をスルーしていたのだと思う。

カカは、懸かる(かかる)に通じ、ハハは這う(はう)に通じている。

かかるは、掛かる、垣(かき)、など、垂直性に関係がある。

一方、這うは、水平180度である。

点と平面の関係であり、前者は直角90度方向に「奥行き」をもっている。

幾何学的には、正四面体における、底面と頂点の関係である。

(古代思想では、円錐の底面と頂点の関係として把握されていた。)

この、水平性(ハハ~這う)と、垂直性(カカ~懸かる)が、“同時”である点に、「カカ+ハハ」としての「蛇」の特徴があるのではないだろうか?

実際に、蛇の重要なシンボルのひとつとして「十字架」がある。

広く世界を見渡した場合に、古代地中海世界でも蛇が信仰されていて、ギリシャ神殿では、蛇の巫女、蛇巫(へびふ)が、聖なる蛇を飼育していたという。

これが十字架のシンボルをもっていて、後、古代地中海思想としての傍流であるところのキリスト教に習合されたらしい。(『蛇と十字架』安田喜憲、参照。)

蛇のシンボルを、男根相似と見る傾向の強まりが、ひとつの偏向であろう。

それは本来、とぐろを巻いて円錐状になるという、女性器類似の性格を同時に持ち合わせている。

陰陽和合、横と縦の世界が、同時にあるという特徴が、蛇の神の超越性を特徴づけている。

それが、時代の趨勢の中で、幅優位となり、蛇のシンボリズムにおいても、それは例外ではなく、ニュアンスの偏向となっている。

それだけ、この、カカとハハ、ヌース流に言えば奥行きと幅を、同時に見立てる感覚というのがむずかしい。

なぜならば、人間の感覚というものが、それをさせないからだ。

幅は幅、奥行きは奥行きである、というのが、人間の感覚を特徴づけている。

スサノオが簸の川で手にした古代箸は、ヌース流に言えば“スピノール”ということになる。二回転して360度というもの。「ハハ」のイメージと重なる。ただし、物理学に詳しくないものが「スピノール」などという言葉を持ち出しても説得力がない。自然科学の学識を前提として説得力をもつのがヌーソロジーであるのだと思うが、また別のアプローチとして、シャーマニズムなど、人間の意識や身体のあり方からのアプローチもあるということになる。

 

参考:「核心」と「核散」 (ヌーソロジー)

 

-引用-
●核心(かくしん)

ユークリッド幾何学としての十字形。顕在化における総体の対化の等化と中和のキアスムが凝縮化として送りだすもの。オリオンが人間の次元に関与を行う最初の部分。核質の力のもととなるもの。キアスムのイデアそのもの。
-引用-

 

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-引用-
●核散(かくさん)

核質の働きを散逸させる、という意味。物質概念との決別。人間の意識が反映を顕在化させることによ り、容器図式を解体させること。核質(モノの働き)が中和し、無核質(イデアの働き)へと働きを変えること。潜在化として働いていた人間の外面のカタチが 付帯質の内面において顕在化を起こしていく状態 のことをいう。核散の最初の契機は表相の顕在化として起こる。核心が回転を起こし、反環としての三次元性を円心へと導く。卍。正四面体を生み出すための力の発振。
-引用-

 

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