“所作”のレベルでの儀礼をとりあつかうのが巫女。それが言葉の世界になると無用となる。

列島の歴史としては、まず、土着の原住民文化があり、そこに稲作文化が訪れる。次に、北陸地方から、大陸や半島の文化が文明として入り込み…高句麗国の危機(589年)が関係…その次に、瀬戸内海から入って畿内を中心にまた異なる性質の文明が入る…百済国の崩壊(660年)に関係。

土着の文化と、大陸~半島からの文明文化との習合の形態。前者が“クニツカミ系”、後者が“アマツカミ”系。物部氏(もののべし)と蘇我氏(そがし)、在来の神道と新しい宗教である仏教との関係であろう。

白山~菊理姫~ククリヒメは、半島の白頭山や、高句麗姫(コウクリヒメ)と関係し、その中に、“菊の花と水”を用いたなんらかの神聖な儀礼があったのだろう。その儀礼を伝えた人たちは、“菊~掬う”の文字(漢字)の解字の意味をよく知っている中国文明の咀嚼に秀でた知識人である。

その際、“菊~掬う”の儀礼が、土着の“ミテグラ”の儀礼と習合したということなのだろう。古代では、儀礼の習合、習い合わせは、言葉の教義とかでなくて、“所作”を基盤とするものであったということ。つまり、言語的ではない=男性的ではない、それは女性、巫女たちが主体となっている。

だから、ククリヒメや菊~掬いにまつわる要素は、華やかで、可憐な様子がある。“ミテグラ”にしても、とても美しい日本語である。

祭祀とは、異なる文化圏を習い合わせることだとすれば、それを為していたのは“所作”の次元であるから、古代の芸能とは、所作の次元の意味あいが強い。古代の芸能は、女性たち=巫女たちが主体であると。土着系の巫女と、より文明化された巫女とが、“所作”のレベルで通訳~翻訳して、

新しい文化を創造していったという点に、さまざまな芸能の開花があったということなのだろう。

それがさらに時代層が繰り上がる中で、その文明が男性的な、国家的な色合いを強くするにつれて、そのレベルでの、つまり所作~無意識的なレベルでの文化文明の習い合わせという発想がなく、また実際に効かず、どうしても、言語=同一性をめぐる発想となる。

巫女たちは、かつて、“所作~芸能”により、さまざまな翻訳にあずかっていた“文化的な技術者”であったが、その働きが評価されない文明レベルとなると…文明の男性化…単なる娼婦的に扱われるようになってしまって、神殿を出て、放浪~芸能の民に落ちていったのだろう。

これは、村落共同体においてもパラレルな構造であり、村の女たちが、昔は、祭りや性に関して大きく主導権をもっていたものが…盆踊りやかがいなど…やがて、それが男たちに取って変わられると、好きなように扱われてしまい…かがいの乱交パーティー化など…村を出て都市に逃げ出した、と。