“点球”を考える 細胞の空間との関係

●点球(てんきゅう)

人間が宇宙と呼ぶもの。顕在化から見ると人間が意識している宇宙が点の内部に見えることからこのように呼ばれる。有機体の活動次元。人間が宇宙と呼 んでいる四次元時空の広がりのすべて。時空から見ると電子は点の内部空間として見えるが、反対に電子から見ると時空が点の内部に見えるという意味。


ここで面白いのが、

“人間が宇宙と呼んでいる全体性”が、“4次元時空”だということ。

“4次元空間”ではなく“4次元時空”。

つまり、3次元空間+時間の一次元である。

ここでは、4次元時空の外部が、4次元空間だということになる。

その意味では、

4次元時空=点球は、外部として、4次元空間に接触しているとして、

その“界面”というものがあるということになる。

これは、ヌーソ○ジーで“核質膜”と呼ばれるものと関係しているのではないか。

おそらく、この“核質”は、“細胞”と関係があるのだろう。

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指圧家の増永静人氏によれば、

“氣~ケイラク”の働きは、細胞における原形質の流動パターン、つまり、いわゆる“原形質流動”であると言い、

また、この原形質流動の存在は、生物学の初期で提唱された概念ではあるものの、“生気論”的であるとし、理論的には怪しい部分を含むために、

現在の生物学~医学では、ほとんど“原形質流動”の存在は扱われていないという。

今、思ったのは、

細胞内の原形質と、細胞核内の核原形質(核質)との、違いはなんだろうか。
あるいは、その二重構造とはなにか、という点。

細胞膜→細胞原形質→細胞核膜→核質→核小体(仁)という構造となっている。

ひとつ、思うのは、細胞膜~細胞原形質があり、その中に核膜と核原形質があるとして、

これは、“○○の中に○○がある”という入れ子というよりも、ある種の“同時性”ではないのか、と。

逆にいえば、そのような“二重襞”の存在が、それをして、各々の、細胞質と、核質とを、在らしめているのではないか、という直観。

そして、その“在る”という“ひとつの構造”が、そのような膜の二重性、そして、その二重性の展開である多重性~多層性として、構造化されているのではないか。

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そして、この“膜の多重性~多階層性”としての空間の重なりの世界は、いわば“上次元構造”としてあり、

それを、下次元構造、つまり、物質現象として支えているのが、“原形質流動”としての液体の運動性、つまり、渦動、渦ではないのか。

渦、というのは、“ひつき神示”でよく出てくるキーワードで、力とは渦であるということだ。

ヌーソロジーで渦というと、自分は“超心点”を連想する。

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点球…

点と球との照応。

つまり、点のような球であり、球のような点でもある。

手をぎゅっと握る、そして開く。そんな運動を連想する。

これが、人間の意識の全てあるとして、

その点と球との間に、さまざまな“膜的な階層性”を設定し、

しかしながら、“上次元”から見ると、その全体性は、“ひとつの点”としか見えないくらいの

微小性である。

それは、表象的には、さまざまな感覚の段階であり、

内部的には、直観的に把握される、身体に投影された上次元構造の、反映である。