“渦”と超心点

銀河系の渦の中心点は超心点ですか。

はい、中和を作り出す次元の元々のもと。


“銀河系の渦”が超心点であれば、超心点=渦だと考えていいのではないか。
また、超心点とは、触れることの界面であると考えてよい。

そして、人間の感覚は、その触れることの界面性を、なかんずく、“水”に感じ取るのではないか。


●超心点(ちょうしんてん) 潜在化における重心の位置。人間の次元における反覚醒と覚醒の境界。表相の中和が起こるところ。定質を性質に変換させるところ。覚醒させる力を送りだすところ。モノの界面。モノと皮膚が接触する部分。覚醒においては「重心」となる。


人間の意識が、超心点に関与できるものではない。

あくまで、その上次元性が、“身体”を介して、受動的に、直観把握される空間性が、“モノと皮膚との界面”

としての超心点だ、という指摘になっている。

人間の皮膚が、モノと触れて、超心点を作っているものではない。

しかし、また、

人間が、どれほどの、モノとの接触を、一日、そして、全生涯に渡り、為すのか。

そして、その全人類的な総体としての、触れることの営みを考え合わせれば、
下次元の“触れること”の超心点的な投影現象が、

上次元の超心点=銀河の渦としての働きと、照応性をもっているのではないか、とも考えられる。

つまり、人間の触れる体験の総体があってこそ、銀河の渦としての超心点が、成立しているということでもある、と。

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超心点は、皮膚とモノの界面であり、また、モノの界面ということでもある。

皮膚~体表に、ケイラクが関係していることに間違いないが、

“ケイラクの原型とは、原形質流動”(増永静人)だとして、

イラクは、相手の皮膚に触れた時に、自分の皮膚、つまり指先などと、相手の皮膚との間で感じとれる何かである。

あるいは、自分の場合は、空間そのものと、自分の指先との間に、“空間のケイラク”というものを感じとることができ、

まず空間のケイラクを触知して、それを、体表的な場に体表ケイラクとして移す、ということをやっていることを分析している。

そして、“空間のケイラク”と、具体的な、相手の体表に触れることのケイラク現象との界面に、点的な現象としての“経穴”、つまりツボというものが介在していると感覚されるのだが、

その面的な境界部の経絡現象の中で発現する経穴のあり方が、“超心点”という語感と、重なるように感覚されるのである。

その意味では、経穴とは、ひとつの渦である。

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経絡と経穴、つまりスジとツボは、面や線と、点との関係に思えるのだが、これはおそらく四次元的な性格をもつ。

その意味で、“形質”という用語にとても似ていると感じている。


● 形質(けいしつ) 元止揚の反映としての力。裏を返せばカタチを生み出すための力。カタチとは形質を等化している力。意識の外面と内面を等化する力を持つもの。上次元における総体化をもたらすことができる力。核質に関与して核質の中和をするために生み出される力。


形質とカタチは、下次元と上次元の関係である。つまり、潜在化と顕在化の関係である。

(超心点と重心の関係に同じ。)

治療においては、形質的な現象として、経絡や経穴が感知されるとしよう。

これは、“スジやツボ”は、治療のみならず、芸能や職人の身体性にも共通する内部感覚であるから、

大工さんにも感知され、陶芸家にも感知されるような、体感である。

治療家の場合は、その内部感覚を、“モノ”に頼らず、身体そのもので辿ろうとするために、その構造性をより深く見ようとするということだと思う。


経絡と経穴が、面や線と、点との関係に近いとして、もう一度、超心点を、他のニュアンスで引いてみる。


●超心点 人間が点(=ユークリッド的な点)と呼ぶものの正反対の場所にある。人間の意識の内面においては、肉体と世界との界面部分として現れている。外皮。人間の身体の形態が作り出されているところ。物理学でいう特異性の本質。触覚とは定質が性質に変換される機能。


この、“点の反対にある”という性格が、形質とつながっていると思うのである。

というのは、超心点では、“表相の中和”が作用すると説明があるのだが、表相の中和と、“人間の反対”が関係し、この人間の反対と、形質が関係しているのだ。


●人間の反対 形質を持つもの。モノの中にいるもう一方の自分を人間が見いだすときに生まれる進化の方向性の力。形質が生み出されることによって付帯質の外面から付帯質の内面へと次元が変わり表相が中和され、人間の最終構成が生まれる。

●超心点(ちょうしんてん) 潜在化における重心の位置。人間の次元における反覚醒と覚醒の境界。表相の中和が起こるところ。


少し話がズレるが、

人間の反対が、形質をもって、表相の中和を為し、そのことが“最終構成”を作るということと、

“体表”が、“最小精神ψ3の負荷”として、顕在化の意識としての、精神の次元を構成することが

パラレルに感じられる。

これはつまり、

人間の皮膚~体表の働きに相当するもの、つまり、超心点~表相の中和~形質が、

顕在化の働きにおいては、

体表~最小精神、そして、最小精神を負荷とする重心の作用、というかたちで、顕在化の意識における精神の働きとして、

“カタチ”を生み出すこと…形質の上次元がカタチ…

ということと、パラレルだ、ということである。

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このあたりを短絡すると、

イラク現象=原形質流動が、皮膚と空間との界面と、細胞膜としての界面と、パラレルだ、ということを想像するのである。

つまり、細胞質と、核質との関係が、

下次元と上次元との、膜を挟んでの、二重襞のような、構造と、パラレルではないのかと。

すると、細胞内の膜が、原形質~原形質流動を生む“構造”であり、

また、原形質流動そのものが、細胞の膜の構造を生命現象として下次元に現す、空間の運動性であるとして、

そのような意味での、

渦としての、原形質流動と…しかしその実態は生気論的なものとして科学的には解明されていない…

体表的な界面をめぐるケイラク現象とで、

パラレルではないのかと。

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(一般的には、健康、あるいは元気を賦活するとは、

局所的な症状の対応であるよりも、“細胞レベル”で喚起することがより上級であり…治療に対するヒーリングの意味合い…

その点に、“元気”という概念をめぐる、ケイラクの、本質があるということが言われる。)