悟りとボケ

原則的には、女性の好みは、飽きやすさをともない、それは男子も同様なのかもしれないが、男はよりコードを厳守する訓練を受けるのだろう。男の縦社会。…ただし、同様に、コード厳守を心がける女性の場合には、もともと自由な身体性を好む傾向ゆえに、反対に、より厳格なものとなり得るのかもしれない。

“修業”という名のなにかに対して、“古代=女の身体性”というファクターを置くと、男による“修行”は、つまるところ、それ=古代の身体=女の身体には、けしてたどり着けない何かとなっているのではないか。それゆえに、実は、到達者はひとりもおらず…例えば“悟り”など…

幻想、あるいは理想論なのであり、たいがい、“まあ、そんなところでしょう”みたいな段階で、“奥義をさとった”とみなされるのではないか。そして、その場合に、理知的な判断を、なますような、ある種のボケの効果…場合によっては薬草の使用など…があるのかもしれない。

男は、どこまでも論理的に問い詰めるので、早い話が、“どこまでいけば悟りか”などということに“解答”は出ないはずである。それゆえに、“ボケる”というファクターが必要になるわけだ。瞑想ばかりして左脳を使わないとか、歳を取るとか。