逆感情の癒し手 聖なるメドゥーサ

神秘学的な伝統における、高次元身体、もしくは微細身体の詳細に関して。
 
肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コザール体、…と重なっている。
 
この場合に重要なのがエーテル体で、各々の高次元身体へと直接につながる変換回路のようなものとなってるらしい。
 
そのニュアンスにおいて、二重体、複体、ダブル、などと呼ばれるようだ。
 
このニュアンスは、「複素数」における「複素共役」のイメージに重なる。
 
エーテル体が、ダブル、つまり、四次元的な二重構造をもっているとして、
 
(イメージ的には、双対の正六面体)、
 
これが、肉体の方に直接的に結びついてしまう、つまり、下方に癒着してしまうと、その複体としての特性が、単一化してしまうということ。
 
具体的には、膜が壁になるようなイメージである。
 
実際、そのようにして、今の私たちは、肉体を単なる物質対象として見ている。
 
逆に、エーテル体が、複体として、二重性において切り開かれると、アストラル体他、さまざまな次元の身体とのつながりが、見えてくる、というふうに考える。
 
・・・・・・
 
-引用-
「私を覆うヴェールを持ち上げることのできた人間はなかった」とメドゥーサは言った。
 
それはメドゥーサが死であって、メドゥーサの顔を面と向かって見ることは死ぬことを意味したからだ。
-引用-
 
「正面」にはメドゥーサ=死があるということ。
 
人間の意識の正面への侵入は、死への侵入を意味する。
 
逆もまたしかりで、死への侵入とは正面への侵入ということになる。
 
“幅化した奥行き”というものが、おびただしい数の蛇の鎌首に喩えられているのだろう。
 
おどろおどろしい三次元的な幻影が、「正面」という一点からの切り込みにより、魔法のように解除される。
 
「私を覆うヴェールを持ち上げることができるのか?」。
 
メドゥーサにおける生命の更新力は、ある種の「逆感情」の力によっている。
 
逆感情により、肉体とエーテル体との癒着を切開し、アストラル体とのより健全な、直接的な接続を果たす。
 
するとメドゥーサという鏡は何物かに変わる。
 
しかし通常、逆感情は「狂気」の領域に押し込められている。
 
これを奥行き方向に展開するためには、「分析」では間に合わず、ワークショップの現場にどんどんアーティストたちが参入しているとも聞いている。
 
彼ら自身、逆感情による反転手法をメソッドとして、自らを癒したという経過があるということになる。
 
それが彼らの表現活動に他ならないということ。
 
 

参考ページ:「Medusa」 ギリシア神話・伝説ノート

 

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