ヌーソロジーの“性質”の語は、“性”の概念とも関係がある。

 

ヌーソロジーの“性質”の語は、“性”の概念とも関係がある。

-引用-
性質

シリウス』領域において、『プレアデス』へと向かう力。

 『定質』に対して働き、進化とは逆向きの力にあたります。

 「進化の方向性」と言われるものとは、逆向きであるので、悪性の力とも解釈ができますが、オコツトによると、「シリウス領域において、善悪の概念はない」と言われています。

 人間を作り出している意識の方向性と言われます。

 また、一様なものから、多様なものを産出していく意識の流れにあたります。

 『性質』の「性」とは、異性の「性」であり、男性と女性とに分かれる「性」にあたります。

 宇宙の仕組みとしては、こうした、「男性」と「女性」のような、二元的な「性」に分かれると、そこから、無限の物を産出することができます。そして、これが『性質』の持つ力なのではないかと思われます。

http://spot23tm.html.xdomain.jp/noosology/text/noos_basic_2-1-3.html
-引用-


“性”という条件…たとえば男女の性…が、所与として、すでに与えられた条件としてあるということ。そのいわば、純粋なる受容性、純粋な所与としてのあり方が、“古代の感性”の基盤であり、それを捉えるのがうまいのが“女性”、あるいは巫女だった、というのはよく分かるところ。

また、そのような、“受領性=与えられた世界”としての、被創造性~受動性のパラダイムから“脱する方法論”としてのヌーソ○ジーの体系であれば、そこでの“性質”、なかんずく“人間における性質”は、“不確実なもの=受動性”としてネガティブに捉えられるのは当然の話。

まあ、“蛇”なわけだ。巻きついて束縛するものだ。そういう蛇の一側面がある。必死で求めた近接性における安寧感が、逆に、まとわりつきとして意識されるようになると、わずらわしくて仕方がない。よくあることだ。“与えられた世界”に、安住できるか、できないか。

その意味では、“与えられたもの”としての世界のあり方が、直観的に“蛇のシンボル体系”として巫女により降ろされた、というのは、分かる話で、それはそのまま、“前次元”の宇宙論が、そのまま反映された世界観である、と。その意味では、新しい宇宙論となにほどかの共通性をもってくる。

ただし、“蛇の宇宙論”ほどに、ある種、抽象化された内容だと、ある種の基盤というのか、今の次元と、前の次元とを、つなぐ、界面そのものに位置するなにかである可能性もあるね。無意識的な領域において。下の相似性などを見ると。

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