観察精神と完全性質

身体や肉体からのアプローチに関心がある人は、「完全性質」とか「妙性質」という用語を検索すると面白い。

検索で、以下のページがヒットする。驚きの内容である。

https://goo.gl/eqdPGu

「観察精神」という精神の進化のゴールと、その対化としての「完全性質」とは、

あらかじめ「設定」されているのだろうな、と思う。

そういう意味では、観察精神はゴールであっても、無限のゴールだし、

その対化としての、完全性質としての人間や、人間の肉体も、同様なのだろう。

無限×無限としての「結び目」があって、また、それが宇宙の結び目であれば、

それは無限×無限としか結び得ないであろうということだ。

したがって、すでにあらかじめある観察精神というゴールへ向かって、

高次元の精神は個の意識の進化のレベルで向かう、つまり、その経路をなぞっているが、

そこでつねに対化が生じている、つまり、中和されているわけだから、(そこに螺旋状進化があるとすれば)

それは同時に、その都度の結び目の生産だということになる。

そういう意味では、宇宙というのは巨大なひとつのリボンでもあるのかと。

あるいは、巨大なばらの花であるのかと。

…同様に、人間の意識もまた、知識の深度を深める限りにおいて、奥行きの深度を増す。

人間なりのレベルの対化の現場というのがあるわけだ。

しかし、ある必要性のもとで、人間というレベルでは、その裏側は見せられてはいない、と。

見ることができないと。

月の裏側のように。

そういう「調整作用」という人間の宿命としての「設定」が、また面白いですよね。