観察精神と完全性質
身体や肉体からのアプローチに関心がある人は、「完全性質」とか「妙性質」という用語を検索すると面白い。
検索で、以下のページがヒットする。驚きの内容である。
「観察精神」という精神の進化のゴールと、その対化としての「完全性質」とは、
あらかじめ「設定」されているのだろうな、と思う。
そういう意味では、観察精神はゴールであっても、無限のゴールだし、
その対化としての、完全性質としての人間や、人間の肉体も、同様なのだろう。
無限×無限としての「結び目」があって、また、それが宇宙の結び目であれば、
それは無限×無限としか結び得ないであろうということだ。
したがって、すでにあらかじめある観察精神というゴールへ向かって、
高次元の精神は個の意識の進化のレベルで向かう、つまり、その経路をなぞっているが、
そこでつねに対化が生じている、つまり、中和されているわけだから、(そこに螺旋状進化があるとすれば)
それは同時に、その都度の結び目の生産だということになる。
そういう意味では、宇宙というのは巨大なひとつのリボンでもあるのかと。
あるいは、巨大なばらの花であるのかと。
…同様に、人間の意識もまた、知識の深度を深める限りにおいて、奥行きの深度を増す。
人間なりのレベルの対化の現場というのがあるわけだ。
しかし、ある必要性のもとで、人間というレベルでは、その裏側は見せられてはいない、と。
見ることができないと。
月の裏側のように。
そういう「調整作用」という人間の宿命としての「設定」が、また面白いですよね。