痛車(いたしゃ)考

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痛車(いたしゃ)

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イタ車というのがあって、あれはなんなのか。今はどうなのか。なくなったのならば、なんだったのか。

車のボディの表面は、人間であれば体表部の皮膚に当たる。通常、メーカー色を選ぶ。カスタムでは、自分の好みの色をペン入れしてもらう。こだわりの部分で、色合い、質感がかわっただけで印象は大きく変わる。

アニメのデザインが全面に入ったイタ車の驚きは、まず、使われているカッティングシートの、カッティングマシーンの性能の向上だろう。あれは、コンピューター制御のプロッターの応用なわけだろうが、その技術がとても精緻になっていて、

そこに、各メーカーのモデルごとのクルマの表面の詳細な3Dデータが加われば、見事に密着した、歪みがなく、ぴったりと貼り付いた、あれができあがるというわけなんだろう。まずは、そのことの驚きだと思う。カッティングシートの。シートにプリントされたデザインの発色もすばらしい。

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イタ車という現象を、“身体的”に考えると、本来は、ナイーブな器官である皮膚~体表への、視覚という外面性の侵入ということではないかと思う。器官としての体表は“奥行き”に関係し、そこに、視覚~映像という、対象化された世界が混入される。

端的に、ファッションタトゥーにアニメ絵の女の子キャラなんかを擦り込むことに、ギョッとする。あのノリと、イタ車は似ている。

ファッションタトゥーと、伝統的な刺青(いれずみ)とは異なる。“まったく別のもの”だと、伝統的な彫り師は言う。それはどういうことなのか。(消すことのできないタトゥーを施した時点で、ファッションという語の軽さはすでに超えているが。)

まず、伝統的な彫り物は、“内在的”なものであり、人前にさらすことを好まない。ファッションタトゥーの場合は、人の目にさらすために入れる。この違いが大きくある。ヤ○ザでなくとも、伝統的な彫り物を好む者もおり…昔は職人などが入れていた…なんらかの“内在的”なこだわりによるのだろう。

全体として、クルマの表面や、皮膚に、絵が入り込むという構図は、“奥行きの空間”への、“幅の空間”、つまり、“他者目線”の侵入、ある種の全面的な侵入という、現代的な“身体感覚の低下~身体喪失”をベースとしたものではないかと考えられる。

(伝統的な入れ墨は、強烈に痛いらしい。まず、現代の人間は、薬物などを用いないかぎり、耐えられないだろう。したがって、タトゥーマシンの必要性があるのだろうが、その場合にも、絵柄など、内在性のものか、あるいは、他者目線的なものか、傾向が分かれると思われる。…たとえば、アニメのタトゥーであるにせよ、普通は、タトゥーの伝統の中でなにほどか変形した柄になるはずだが、まんまのデザインで入っているのは?という感じがするわけだ。)