レクチャー・ワークショップの案内 『エーテル空間における四次元比率の演算方程式』

エーテル空間における四次元的な比率に関して


-引用-
この円の形が宇宙のどこかにあるというような3次元的なモノではなく、あくまでも抽象的な概念としてのエネルギーの相互作用として捉えます。(春井星乃さん。図参照)
-引用-

数学や幾何学の素養のあるなしが、びみょうに関係するでしょうが、どれくらい「イデア思考」に入れているかなと、自分で思います。

「思考というものが“思考そのもの”を対象として展開されると、具体的な表象性は剥奪されていく」というのが「脱-表象化」の思考であり、それが「能動的なイデア思考」となる、ということです。

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現在、「脱表象化の思考」は二つの方向に分岐している。

ひとつはコンピューター。もうひとつは「エーテル空間」の方向。

前者は、“外在性”としての脱表象化、後者は“内在性”としての脱表象化です。

ただいたずらにコンピューターの進化を不気味がるだけでなく、「脱表象化」という、人間の意識進化の、物質的な反映現象として捉えることができる。

(人間の意識に、精神進化が引き起こる。すると、ただちにそれは物質世界に反映される。)

コンピューター~パソコンの進化は、「コミュニケーション」をテーマにしていると言われていますが、「脱表象化」としてのパソコンやインターネットが、時を経る中で、テレビ化したというのは、「再-表象化」の現象です。

コンピューターのプログラミングは、もともとは裏側にあって、絵をそこに映し出すための道具でしたが、今は逆に、絵、つまり表象の下僕となっています。

これは、顕在化の反映として私たちの目の前に現れたコンピューターが、逆に、潜在化の次元に後戻りしようとすることです。

(プログラム=論理のかたまりであるコンピューターが、ブラックボックス化されて、紙芝居の道具に成り果てている。)

このような転倒現象の理由をこのように考えることができる。

コンピューターという世界の主題的なテーマが「コミュニケーション」だとして、その、「コミュニケーション」という理念そのものに対して、人間の側が明確な論理的構造を与えることができていないということが、原因になっているということではないか。

その部分に対して、ヌーソロジーの思考は、論理的なメスを入れていると考えています。

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外在性としてのコンピューターの進化に対して、人間の内在性における進化は、「エーテル空間」において為されるとのことです。

エーテル空間の特徴は、すべてが双対(そうつい)的である、ということです。

ヌーソロジーで言うところの「対化」あるいは「対化の顕在化」というやつです。

そこでは「思考」が、「行為」との“対化”を構成していると考えることができます。

そして、思考と行為をめぐり、その両者が“交換”したり“回転”したりする。

ヌーソロジーで言うところの「対化の等化」という現象です。

そんなわけで、エーテル空間においては、行為の中に思考があったり、思考の中に行為があったりしていることになるでしょう。

(そのような思考と行為との双対性が見えず、観察できず、思考と行為それぞれの中にただ漫然と受動的にあるのが、単なる人間としての通常意識であり、ゆえに、そのカテゴリーエラーとして、さまざまな悩みや病気が多発するということになるのでしょう。)

イデア思考はイデア思考としてあります。それは、形式的な構造として提示されているわけです。

そしてそれを、ひとつの反映、つまり対化するものとして、行為や感覚の側でたどるアプローチができるということになるわけです。

イデア=光」が、一度通ったスジ道のようなものを、肉体や身体を用いて、再び遡及する、さかのぼる、ということができるということです。

それは具体的に言うと、エーテル空間における双対性、つまり“対化”の構造における“交換”や“回転”という作用を利用して、「行為の中にある思考(光の筋道)」の、「思考の中にある行為(光)」に対する“比率”として求めることができるということです。

エーテル空間における“四次元的な演算”のようなものと言えます。


参考ページ:ブログ 『シュタイナー思想とヌーソロジー』ー第1部(半田氏パート)の感想ー https://goo.gl/DGfzM3

 

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・どうやってエーテル空間における四次元比率を演算するか


エーテル空間における感覚(エーテル感覚)、あるいは認識(エーテル認識)において、「思考の中の行為」「行為の中の思考」というものを、いわば一体として、ひとつの“比率”として求めることができるということ。

思考と行為が、比率の中でひとつである。つまり“連続”しておりますので、「考えて行う」、あるいは「行いを考える」といった、「主体─客体」性にもとづく「時間経過」のプロセスが“宙釣り”されてくるということです。

その比率において、比率そのものの中に入ると、それは宙釣り~棚上げになります。

この、エーテル感覚における、思考と行為の連続性を、「目」と「体表」の関係において、捉えることができるのではないかと考えています。

(一般に、「体表」のニュアンスは「皮膚」に近いですが、ここでは、皮膚を「肉体に外側にひっついているもの」、体表を「肉体と空間との境界」のニュアンスでとりあえず分けます。)

ヌーソロジー風に言うと、「目」は“観察”であり、「体表」は“面”です。

“構造的”に言えば、前者は、「自己-他者」に関係しており、後者は、「触れることは触れられることである」という知覚の交換性(=連続性)に関係しています。

通常の知覚器官は、刺激を対象化し、その知覚の総体~総合が「主体」を構成しています。これが「認知」のプロセスです。ところが、いわば“例外的な特異点”として、「体表」は、そのような「対象化」の働きを“キャンセル”できるのです。

(余談ですが、先にレクチャーの動画のupがあったらむーこさんの関心分野である「仙骨」と、「体表」が、唯一、その全体を失うと生存できない器官になっています。(心臓や大脳を失っても、現代の医療技術では生命は持続可能です。))

体表知覚における対象化のキャンセルは、握手やハグ、あるいは、男女の抱擁や、治療行為などに用いられています。それはたんに「触れる」ということの触覚的なできごとではなく、「境界性」のニュアンスをはらんでおり、ゆえに、文化~歴史、つまり、無意識的な要素を深くはらんでいます。

本質的には、ひじょうにナイーブな境界問題を、(それは「コミュニケーション」ということと深く関係しています)、あくまで“局所”的なものとして扱うことで、人間の文化は、その働きを極めて限定的に取り扱ってきたのです。(本質的には中心的なことがらを、周辺的なものとして扱っている。)

握手しよう。ハグしよう。そうすると人間社会は平和になる。…しかし、実際には、それをさせないということの明確なコード化が、人間文化の深層部に働いていて、それを今ある文化の表層部分でなんとかしようとしても無理です。

(60年代に立ち上がったカウンターカルチャー文脈での、ストリーキングやパフォーマンスアートは、今ほとんど規制されている。)

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話を戻すと、「エーテル空間」における“思考と行為”、より具体的には“目と体表”といったものが、連続的であり、その比率そのものの中に入ることができるということ。そのことが、端的に、いわゆる「東洋哲学」では言われていて、それがいわゆる「陰陽思想」だと思うんですね。

しかしですね、そのような東洋とか、東洋伝統医学とか、水墨画とか、まあなんでもいいですが、詳しく「陰陽思想」の内実を問い合わせてみてください。明確な答えはなかなか得られないと思います。

もともと「気」の語の形象が「雲」だというようなこともあってか、曖昧模糊としたような話であったり(“対象化”のキャンセル、思考の棚上げの次元)、あるいは、単調な教科書的な内容であったりすることが多いのではないでしょうか。

個人的には、この「陰陽」が、ヌーソロジーにおける「前と後ろ」という四次元的な空間設定と、直接に関係するとにらんでいます。

「前と後ろ」の意識のギア比率を求める空間の演算方程式。

あるいは、そのようなギアを実際に組んで、回転させるというモデルとしてのシミュレーション。

それをそのまま、東洋伝統思想である「陰陽」観と結びつけて、「見ることと触れること(触れ合うこと)」という知覚の相互性が、次に、自己と他者との関係の中で、「見ることと見られること」の相互的な運動として、どのように展開されているのか。

「行為の中の思考」、そして「思考の中の行為」の連続性を介して、理解されてくると考えています。


画像:【気】雲気が空に流れる形。

 

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みなさんこんにちは。

ヌーソロジー研究者の小林と申します。

最近、自分の研究も、ひとだんらくついた、との思いがあり、

実験的な試みもかねて、レクチャー&ワークショップを開催したいと考えました。

条件としては、私の住む新潟市へのアクセスが容易であるということ。

以下の文章を読んで、「面白そうだな」「やってみようかな」と思った人は、

メッセージにてご連絡ください。

開催日を検討したいと思います。(お互いの日時の調整をします)

オークションではありませんが(笑)、他の場所でも

入札者を募集する予定です。

体を使ってのワークショップがあるので、私以外に、最低2名の参加が必要になります。

(ワークショップは、普段着を着ての参加となります。)

状況によっては、

第1部、シュタイナーのオイリュトミー。(専門の講師をお呼びします)(1時間半)

第2部、レクチャー(1時間)、ワークショップ(1~2時間)

などの構成も考えています。

(参加費用は、実験的試みということもあり、ひとまずは、資料代くらいで始めたいと考えています。)


仮題:『エーテル空間における四次元比率の演算方程式』

日程:未定


参考ページ:Facebook

エーテル空間における四次元的な比率に関して https://goo.gl/p8EJWz

・どうやってエーテル空間における四次元比率を演算するか https://goo.gl/4NkkiV