体表=体表への直交線(観察線)?
-引用-
●体表(たいひょう) 人間の意識において最初に顕在化する4次元性のこと。最小精神ψ3が持つ負荷。正四面体の高さのイデアに対応する。正四面体とは一つのモノの認識のカタチ。
-引用-
人間の精神は、「ψ1-2」の中に閉じ込められている、ということになっている。
そのψ1-2から脱出するのが、ψ3である。
精神の顕在化の段階のうちでも、最初の部分なので「最小精神」なのでしょう。
そのψ3の負荷、というのは、まあ動機付けみたいなものでしょう。
そっちの方向を動機づけるような働き。
これが動機であるからには、裏に因縁をもっている。
それは「上次元」の方にあります。
まあとにかく、「体表(体表)」というものが、最小精神「ψ3」の負荷として、立ち上がることになっている。
人間の精神が覚醒し出すと。
・・・で、自分もこの「体表」の概念を好みながらも、いまいちよく分からなかったというところがあるのですが、
これは、人間の「体表(≒皮膚)」というよりも、体表を観察する意識、なんじゃないでしょうかね。
体表を観察する意識を、「体表」と呼んでしまおう、ということ。
・・・人間の体表は、トポロジー的には「球面」ですね。
したがって、体表の観察は、球面に対する直交線ということになる。
それが「体表」である。
・・・こういう独特の、オコツトの言葉の用法というのか、言い回しというのが、
なんかすごく「日本的」なんでないかなぁ。
ちょっとうまく言えないのであるが。
・・・
たとえば、日本人の感性の特徴のひとつ、「かさ高いことを嫌う」。
カバンの中に入れて、ボタンやホックやベルトでしめる。
これ、ほんとうはみんな嫌いだと思います(笑)
逆に、それをファッション化して楽しんでますけどね。
めんどくせぇプロセス含めて。
ほんとうに好きなのはたぶん「ふろしき」みたいなやつですよね。
※画像:「体表」が立ち上がる底面が、三次元空間のxyzの3軸で構成されている(三次元平面)ことに注意。