江戸→縄文 先祖返りの諸相

縄文人というのが、白人種とアジア人種が分化する以前のクロマニヨン原人に近い状態だったという。この遺伝子がいかほど日本人にあるのか、詳細は不明だが、たぶんく半分くらいはあるだろう。

原人類としての縄文人が、地理学的な条件のもと、奇跡的に、この極東の島国に保存された。それゆえの、この国の特殊性、ガラパゴス性であるとの専門家の指摘がある。(形質人類学、百々幸雄)。

江戸時代に開花した職人文化。それまで地下水脈のように潜伏していた縄文が、一気に浮上した時代だという。

縄文土器はおそらく、エコーロケーションと関係が深い。先にもラクビー界の有名選手からコメントをいただいたばかりだが、スポーツなどで受動的なかたちで使われているエコロケをより意識的に用いる“能動的エコーロケーション”が話題になっている。

それって江戸文化なんじゃねえの?って話である。

“着物”って土器なんじゃねぇの?って話である。

エコロケ的には。

縄文時代は狩猟採集文化であり、シャーマニズムである。シャーマニズムは世界をおのれと一体的に把握するというものであり、これは、通常の対象感覚(あれはどうだ)ではなく、それそのもの、つまり、エコーロケーション的である。“響き”である。

エコーロケーションは音響反射であり、外側からいっぺんに包み込むようにしてカタチをつかみとることができる。一気に把握し、感応する。

これが“息の文化”という言われるものの本質であろう。

狐信仰がお江戸を網羅していたというのはおそらくそういうことで、詩的な表現をすれば、お江戸は“衣(きぬ)ずれのセレナーデ”に包み込まれていたということになる。

そういうのがまったく残っておらず゛、今の日本人のほとんどが感知できない。

たぶん俳句なんかもエコーロケーションっぽいが、音の文化というものは文字で表現しにくく、残りにくい。結果、なにがなんだか分からない、ということなんだろう。

要点は、エコーロケーションというものが特殊感覚というよりも原始感覚であり、むしろ五感の根の部分にある、おそらくは、「胎児的な感覚」なのだろう。

そういう意味でも、江戸のエコロケは、狐であるとともに、おそらく、文化的には、そのまま“道祖神信仰”の俎上にあるものと考えることができる。

道祖神の分布も、地面という、いわば“地球の体表”上にあらわれた、ある種の音響パターンと考えることができるのではなかろうか。)

なにか分析的に、ことを為すというのと別に、響きの感覚ということ。具体的には、着物がこういう擦れた音を出すときに体がどうなるか、みたいなものを無意識的に把握し、音の主導のもとで自動的にことを為すというやり方。これは、相手もそうなわけだから、自動的に噛み合ってくるわけだ。)

(たとえば、格闘技になぜ道着が必要かというと、道着の擦れる感触や音が、体表との間で、なんらかのノイジーな情報空間を構成していると考えてもいいわけだ。)

長らくの戦後の平和の中で、日本人全般がある種の“先祖返り”を果たすようになってきている。明治以降の緊張の時代から、弛緩、リラックスの時代となって、とくに最近の若い人たちは、年配の者よりもずっと日本人的になってきている。

これは、私たち自身が感じていたことで、新人類(新しい日本人)と呼ばれた私たちが変わった日本人なのではなくて、年配の者が、違ってしまった日本人だったわけである。日本の伝統、とくに伝統的な身体のあり方によくなじむのは、むしろ自分たちの世代以降の若い世代である。

しかし、その傾向が、経済、つまり商品化や消費の中で、それぞればらばらの、消費者集団という狭い領域に閉じこめられてしまっているのがネックである。

そこらへんを“つなげる”ためのトリガーとなる表現、というものが求められていると思うのである。

コンビニではしょーもない曲ばかりだが、若者向け、マニア向けの某店では素晴らしい音楽がたくさんかかっていた。「だろーな」という感じだ。あるところにはあるが、なかなか表面に出てこないのだね、いいセンスの表現が。