西洋人の“幾何学的なセンス”は、どこから育まれているのだろうか?

また、本日のメモとして、“西洋庭園と幾何学”の関係について。

西洋庭園が、なにやら“幾何学的”であり、あれがピンと来ないと書いたが、“イデア思考”には“幾何学”が必要であり、それは、科学的な思考におけるイデア思考の部分でも、幾何学が活躍しているということでもある。

たとえば、19世紀の芸術運動である“キュビズム”が、ピカソの前の、セザンヌにあるとされているが、セザンヌには、“幾何学的センス”が前提とされているといえる。

そして、同様の幾何学的な枠組みを、ピカソでは、アフリカ芸術などにも求め、これは、当時の“人類学”が、各地の神話構造に、イデア的な、数学的な形式を、求めようとするような学問の運動に、呼応しているということ。

…で、ここで自分が思うのは、こういう、西洋人独特の、“幾何学的な感性”というのは、どこから来ているのか、ということ。(明らかに、西洋庭園と、日本の庭園との、好みは違っている。)

まず考えたのが“教会”である。キリスト教の教会の、建物や、もろもろの芸術などの中に、幾何学的ななにかがあって、そこから自然と学習するのか?

あるいは、“言語的”なものなのか。

ちょっと今のところ、わからない。

(少なくとも言えることは、多くの日本人においては、西洋人におけるような、プラトン立体における神聖性や、美意識、みたいなことは、縁遠い現状がある、という点。)

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元祖キュビストとしての画家セザンヌの風景画

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幾何学的な西洋庭園