火は定質の成分であるが、熱としての融解の成分を含む

ヌーソロジーの創造の作業の現場は、今現在、詳細な物理学の理論へと移行しており(佐藤博士との対話を中心とする)、かつてのような、「火=五芒星、水=六芒星」などという素朴な幾何学が出てくることも少ないのだろう。

もったいない話だ(笑)

-引用-
有機体ノウス:火とは何ですか。

マスミモ:中和の関与が付帯質に変換されたときに生み出される力のことです。

ノ:熱とは何ですか。

マ:融解質そのものです。

ノ:火と熱の関係は?

マ:付帯質として生み出されたものが融解質で、火そのものは性質です。力の形態化した投影。力とは性質の反映において生み出されたものすべて。

ノ:火とは幾何的には何に相当するのですか?

マ:5茫星だと思います。
-引用-

火は中和と関係があるらしい。

そして、熱とは「融解質」である。

「融解」のニュアンスは、人間の表象世界がエントロピー増大の法則として増殖してしまい、精神におけるカタチをもつことができなくなる状態。

人間の感覚の世界に、「定質が関与」したとして、ここに「精神の方向性」がもたされる必要があるが、それが無い時、融解が生ずる。

他に、「中和のカタチがモノ側に生み出されたもの」というニュアンスもある。

これを逆に言えば、人間の意識に定質が関与するとして、定質というのは、中和の作用の中で「下次元の方向」に作用する働きであるわけだから、これは、地上の人間の感覚世界という低次元に対する関与のことである。

それはそれでいいのである。

しかしながら、その表象としての多が、樹木にたくさん葉がしげることが、カタチとしての方向性を持たされない、しっかりと天へと向かう幹の方向性を持たされない、

これが、まずいのだ、ということだ。

逆にいえば、「中和のカタチが精神側にもたされれ」ば、これは、精神の方向の進化の材料として、表相=多が、奉仕しているのだ、という構図となるわけだ。

これは、人間のレベルでは、「行」「修行」として語られてきたこととよく似ているのではないだろうか。

とくに、日本の伝統である禅の教えと近いニュアンスを感じる。

修験道など、火を用いた修行においては、火の中の定質の成分を抽出する意識の訓練と考えることができるかもしれない。火のイデアとしての定質的成分の抽出。)

(顕在化が起こると、問答無用に、精神側が、物質側に対して、先手を取るようになる、ということである。火というよりは、光の成分が主役になるということであろう。火は揺れる心に対応されるだろう。)

(修行的な意識のあり方が、もはや当たり前の前提となるわけだ。そりゃあそうだ。この混迷した現代のカオシックな都市文明生きることそのものが、修行であると言われている。)

-引用-
●融解(ゆうかい)

精神が作り出したカタチを崩壊させるという意味。人間の内面の意識が定質の関与を受けて核質を生み出した時に、その反映が方向を持てないときの状態のこと をいう。人間の意識が精神作用の連続性を失うということ。性質が人間の意識に関与できなくなるということ。科学主義、物質主義などに偏ったパラノイアック な思考性が生み出す。物理的には質量が絶えずエネルギーへと変換されている状態を意味する。質量とは精神の力が作り出した負荷。質量がエネルギーへ と変換されていく方向とは、精神が生み出したカタチを人間の意識が虚無に帰させている状態を意味する。融解はエントロピー増大則とほぼ同じ意味。人間の内 面の意識の方向性がエントロピー増大則の原因を作っているということ。

●融解質(ゆうかいしつ)

精神が融解によってカタチを失ってしまったもの。熱エネルギーのこと。客観的な三次元空間認識の力が生み出している。中和のカタチがモノ側に生み出された もの。人間が人間の内面の意識の対化を等化するときに生み出すもの。対化の外面においては同一化という。融解質と同一化の違いは、融解質は人間の内面性に 生み出すものであり、同一化は外面性の対化に生み出すもの。同一化が融解の原因を作っているということ。

(ヌーソロジー用語辞典より))
-引用-