大黒を超えて…
ヌーソロジーを学習し始めたころ、世は「古神道ブーム」だった。
当時のヌーソロジー(ヌース理論)に「タカヒマラ」という独特の概念があって、ひっきょう、古神道に関心のある面々の注目はこの語に集まる。
「タカ-ヒ-マラ」。高い、日の、マラである。
タカ、ヒは、いいとして、マラの部分で目まいにも似た強烈なインパクトを感じる者が多い。
ふつう、タカマガハラだろう。
神々の住む場所だ。
なにかの“冗談”なのか?
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タカヒマラとは何か。
検索すればいろいろ出てくるから、そちらにゆずるとして、
「奇異な響きをもつ語なので、cave(ケイブ、ケイブユニバース)に変えた」との発言があった。
洞窟宇宙、洞窟に反響する宇宙、ということであり、プラトンに出てくるらしい。
つまり、古代地中海世界で共有されたなんらかの宇宙イメージ。
実状はこうだろう。
「…さん、どうして「マラ」なんですかね?」。
いいかい。こういう質問をしてくるのは、若い女の子や素敵な奥様なんかじゃないよ。
きまって野郎が、「この、タカヒマラのマラってなんですかね?」と、
うるさいくらいにつめよってくる。
そういう事態が、ヌーソロジーの周辺で起きていたと思うといいよ。
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大黒ってあるじゃん。
あれって、基本的に、ひっくり返すとマラなんだよね。
ずきんかぶって、大きな袋をだらんと背負っているが、造形的な必要性もあってそうなっている。
つまり、大黒という神様の本性は、マラだということになる。
神道に、親しんでいくと、これが出てくるんだね。
神社に「地神(じがみ)」というのがあって、これは境内の脇かなんかに在るのだが、むしろこの方が古い。
その地神に道祖神のバージョンがあって、これがマラである。
これは、「性器信仰」のバージョンだと言われている。
世界中、古代にはこれがあったらしい。
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でもね、その古代の性器信仰とやらを、いまだに継続している民族っているかい?
それって日本人くらいなんじゃねぇの?
その意味で、とても変わっているよ。この民族は。
で、自分は、ヌーソロジー研究の中で、このマラ信仰は、ヌーソロジーで出てくる「方向性」、あるいは「方向覚醒」と似ているのではないかと思ったわけだ。
ただ、違うのは、ヌーソロジーは「顕在化」を扱うという点だろう。
その点、マラ信仰は、「潜在化」だということだろう。
顕在化とは、「方向性の対化」として顕れる点にポイントがある。
「対」になってるわけだね。
「表相の対化」が覚醒して、「方向の対化」として顕在化する。
「表相」→「方向」の変質が、「対化」という構造の中で成されるわけだ。
だから、マラ信仰としてのマラ単体のありさまは、「希求」ということであり、言葉を変えると「祈り」である、ということにならないだろうか。
その先は、「顕在化」としての成就にあるということであれば、マラが置かれているのは潜在化の次元であり、それはいまだ「予兆」にとどまるということになる。
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二年前、父親が死んで、寝室の床の間に置いてあった恵比寿大黒を引き上げた。
神社に捨てに行こうとして、ハタと気づいてそのまま持って帰った。
ミニチュアの手彫りの大黒がすでにあるので、この大きな、やぼったいような彫り物はどうでもいいと思ったのだが、「そういうものではない」という気が、捨てる間際、湧き起こった。
そんなこんだで、今仕事場に置いているが、ちょうど、最近ヌーソロジーで発売された、「NCキューブ」というのがあって、なんだか存在感があれと似ているのではないか。
一見、なにをしているのか、なにをするものなのか、分からない。「オブジェ」という言葉の響きに近いしろものである。
長らく、日本の庶民が、居間の奥にたたずむ大黒像の中に見ようとしてきたもの。
それと似たようなムードを、顕在化の空間においては、「NCキューブ」といったものが演出していくのではないか。
そんな気がする今日このごろである。
画像:
大黒 箒屋所蔵(東京)
NC-cube (ヌーソロジー)