「7の中の4」の問題

少し前の、Twitterからの引用。

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今回、シュタイナーとのコラボをやって、シュタイナーが存在をつねに四つのステージに分けて思考していることを知った。1、2、3、4と進んだら、今度はそこから3、2、1と降りてくる。つまり、1、2、3、4、3、2、1、というように。4が中心となって、7のシステムを作っている。

これはシュタイナーの存在論を貫く根本的な原理と言ってもいいものだ。例えば、私たち人間の自我の構成であれば、物質体、エーテル体、アストラル体、自我、というのがこれに当たる。

ヌーソロジーの観察子構造も基本はψ1~2、ψ3~4、ψ5~6、ψ7~8という四つのステージからなる。しかし、ψ7~8からψ5~6、ψ3~4、ψ1~2と降りていくプロセスが見つからない。7のシステムはψ9~10、ψ11~12、ψ13~14と、拡大していくところに登場してくる。

このへんの食い違いが是正されれば、ほとんどシュタイナーの宇宙論とヌーソロジーは重なり合うような関係にあることが分かった。直感的にはシュタイナーの方が正しいように感じている。
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構造の見直しに関する具体的なアナウンスはめずらしい。

レクチャー口頭で、じかに説明されるケースが多いのでは?

ヌーソロジーの構造全体における、根幹的な問題ポイントなのだろう。

個人的には、この“下降のルート”が「顕在化における中和だ」、つまり、「先手の中和」に対するところの「後手の中和だ」みたいに考えることにしてきたのだが。

これが、正しくない用法であり、より根本的な変更が全面的になされるようになる、ということなのかもしれない。

この「中心の4」が、最近よく話題に出ている「四元数」とやらに関係するのか?

四元数の世界は「a×b≠b×a」とのことで、掛け算の先手と後手を区別するんだそうだ。

これでいくと、たとえば、二つの黄金比、φとφ*、つまり0.618と1.618(φ×φ*=1)の、先手と後手の解が異なるということになる。

検索すると、「黄金比の外面と内面」といった用語はないようだ。

(思いつきの内容ですいません(笑))

 

図1:『芸術の贈り物』より。高橋巌の講義で活用。
図2:自作した図式(7の中点としての4)

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参考ページ:Twilog https://goo.gl/mu3Fs9