菊○さんの、古井戸~水の障(さわ)り(?)の件

なんなのだろう。この流れは。今、○○菊○さん(女性)の治療を終えたところ。昨日、お菊さんの話を読んだことがあり、菊○さんの名前の由来をふと尋ねたところ、小学校3年生の時に、菊△から菊○に名前を変えたとのこと。

戸籍をいじって名前を変えるというのは普通ではないと思うが、その前にトラックにひかれそうな事故があったとのことで、“他にもケガなどが重なって、心配したのではないか”と質問したところ、その通りで、いろんなケガや事故が重なって、そこまでのこと…改名をしたらしい。

お菊伝説の話をし、皿屋敷やサラ地の意味あい、また、お菊伝説の下地となった、水の女神や、雨乞いの話などをしたが、菊○さんは農家であり、とても理解がいったようだ。冗談まじりに、家に古井戸などなかったかと聞くと、“それはない”とのことだった。

しかし、まわりは農家ばかりで、井戸をもっているという。つまり“共同井戸”の環境ではない。それゆえに、井戸が無いというのは逆におかしいとも言えるわけで、あった井戸を埋めたりしたのではないかと聞いたら、その可能性はあるだろう、とのこと。

家相がおかしいと言われたことがあり、通常、農家は家と納屋が分かれているが、菊○さんの家は一緒になっている。もし、古井戸があるとすれば、そこに大きな樹木があった可能性があると尋ねると、“大きなクルミの木があった記憶がある”とのこと。

クルミの木は、たしか、桜などと並んで、“湛え(たたえ)”の土地に根を深く水源に降ろして、大樹となる木ではなかったか。つまり、旧い神であるシャグジの依り代となる樹木でなかったか。

菊○さんの実家は、家と納屋、蔵、そして畑などが、“サラ地”の後にいっぺんに建っているとのこと。クルミの木は堅く、それが大木であれば、切った後の切り株や根がじゃまをして、その土地の活用を制限するはずで、その近くに井戸があったかは分からないが…たぶんあったのだと予測するが、

その土地を畑や庭に使わずに、なにかをかぶせようとするはずで、もしかして、“家と納屋が一緒になってしまっている造り”は、そのことに関係があるかもしれない。その場合に、家か納屋の、どちらかの地下に、“古井戸”が残されている可能性がある。

“そういう場所がある”という。家の、地下のような場所に、台所とトイレがあるが、その間に小さな部屋があって、そこは活用していないし、戸を閉めてあるとのこと。これは、その部屋が、なにかこう、雰囲気が悪い、じめじめしている、辛気くさい、といったことが原因ではないか。また、台所の床の下で水が溢れるトラブルがあり、水道管に問題はなく、原因が不明であったとのこと。

菊○さんはとてもケガが多い人で、しかも、よくよく聞くと、そのケガのほとんどが、地面と水に関係している。下水管のフタにつまづく、水くれのホースにつまづく、風呂場のサジキにつまづく、など。“水”ということ、そして“水の神様”に“気づかせよう”としているのではないかと述べた。

ひとまず、白山神社に行ってみるのも手ではないかということで、菊○さんも、少し以前に白山神社の奥にある蛇の神様を拝んできた言い、“いやそれがあの神社の御神体”で、実は自分も好きな場所なのだと説明した。

この手のものは、“気持ち”が重要である。水の神様の存在に気づき、お祀りすることが重要ではないかと述べた。

…やはり、その家に住んでいた菊○さんのお母さまも、ケガが多く、お祓いをやる巫女さんに見てもらったところ、“下半身が水びたしになっている”と言われたとのこと。菊○さんもまた、同じ状態になっている可能性があるわけだ。

つまり、足がもつれて転んでケガをするということの、足のもつれが、“霊的に見ると腰から下がなぜか水浸し”ということから来るなにかかもしれないと。怪談のお菊さんも、皿を数える時は、とうぜん、そういう状態だろう。