吉野ひろ子さんの蛇のシンボル学研究は、“蛇一元論”か?

吉野裕子 『日本の蛇信仰』は、原始からの蛇信仰がいかに根強くわが国に浸透しているかを教えてくれる。著者によれば、剣や鏡はもとより、注連縄、扇、箒、鏡餅、蓑案山子までもが蛇を象徴しているとのことで、その論拠はすべからく中国古代の陰陽五行説か、

さもなければ蛇の古語「カガ」に還元されてしまうので、単純と言えば単純なかわりに、首を傾げてしまうことも多々ある。けれども、蛇が脱皮する生態に再生信仰の根拠があり、ミソギは「身殺ぎ」であると主張しているのには、思わず立ち止まらされた。 ” (白の民族学へ p.59)

吉野ひろ子さんの研究は、あまりにユニークであるために、その仕事の意味合いを短絡されてしまうことが多い。“蛇の古語カガにすべて還元される”などというのは嘘で、他にも蛇の形態学的なシンボリズム、その他、人間の性に関わる生態など、さまざまな論拠を引いている。

“蛇一元論”という言い方もあるようだが、その“蛇”ということを、“古代の幾何学”と考えると、様相はまるで様変わりする。実際に、蛇は、通常は直線であるが、とてもさまざまな形態に変化し、川も泳ぐし木ものぼる。

白川しずかが、世界の神話は、そのほとんどが、蛇の物語に由来し、蛇の物語が神々の物語に変化した、と指摘しているのは、その“蛇の物語”が、“古代の幾何学”なのであり、そのことが、古代人における“身体感覚”や“意識空間”における形態、カタチに関係しているということなのである。

吉野さんの指摘した“蛇”ということ、“古代の幾何学”に置き換えないで本を読んでいると、とくに生物に関心のない人は、まるで面白くないだろう。なぜ“蛇なのか”がピンとこない。蛇の目は“点”であり、蛇の体は“直線”であり、蛇のとぐろは“円や円錐”で、脱皮は、空間の位相変換である。