プロトコルとしての「蛇」

古代などの、あるいは辺境などの、“多-部族社会”では、「蛇」という記号が、ある種のメールマークとして機能していたのかもしれない。

つまり、どこかに、「蛇の思想」とか「蛇の信仰」というものが創始されて、それが直線的に、あるいは同心円状に伝播した、ということではなく、ほとんどの人間集団、部族社会にあって、蛇の記号性は、同時多発的に機能していた。それだけ蛇の特徴は際立っているということ。

それを吉野裕子さんは、端的に、「蛇は人間の真逆である」と説明している。

たとえば、人間は直立し、四肢が伸びている。蛇には手足が無い。など。

人間の関節は多く分節し、関節運動の自由度も高い。しかしだ。分岐した複雑な関節構造をもたない蛇もまた、きわめて可変的な運動の自由度をもつのだ。地面を這い、水を行き、樹木を登る。

なぜキリスト教は、まず蛇を嫌ったのだろうか。墓地を行く。小さな蛇がいた。「この悪魔の申し子め!」。かかとで踏みつぶす。

それはやはり、実際に、古代社会では蛇の信仰が多く、(古代地中海地域でもことの他多かったらしい)、それがいわゆる「多神教」のシンボルとなっていたのではないか。すなわち、蛇殺しとは、多神教殺しであると。

しかしだ。先ほどふと思ったのだ。「蛇」は「意味」なんだろうかと? つまり、宗教を構成するのは教典であるが、おそらく蛇の信仰は、そのようなものにもとづいていない。とすれば、厳密には蛇の信仰は「意味」にあらず、それは意味の世界に生きる一神教の住人が、そこに意味を認めたにすぎない。

じゃあなにか。

ここがモンダイだ。

プロトコル」ではないかと思ったのだ。

つまり、古代の「多-部族社会」においては、蛇を信仰の対象として、言語的に指示化して、うんぬんかんぬんしていたのではなく、そういう次元のいわば上位、プロトコルとして、蛇をシンボル化していたのではないか。

メディア無き次元における道作り。その時、足の無い蛇の足取りこそが問題となった。

であれば、この現代においてこそ、プロトコロルとしての蛇は、大々的に復活する可能性がある。

新たにリニュアールされた蛇の信仰の次元世界として。

(「多-部族」性を満たす地政学的な条件は、この日本列島に飛び抜けて際立っていることを私たちは再確認しよう。つまり、「生きている古代がまだこの日本にはある(by白川静)」と。)

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「この二つの記事における蛇と猪は(山の神=蛇(書記)、山の神=猪(古事記))、当時、山の神の神格に二つの見方があって、その相違が古典の双璧たる両書の中に、はからずしも現れたとみるべきであろう」。

「同一人物が、同一場面で、山の神という同一の対象と出会いながら、その神格が、蛇と猪で分かれていることは注目すべきである。それにはそれなりの理由があるはずで、その推理が山に対する古代日本人の意識、信仰の解明につながり、ひいては産に関わる習俗の理解ともなるのである」。『山の神/吉野裕子』p.17

これだな、と思う。

当時を再現しよう。「おれんところは猪だ」。「おれんところは狼だ」。わいわいがやがや・・・「どっちが偉いんだ」「勝負しろ勝負しろ」。

いや待て。お前ら、「蛇のカード持ってない?」。「ある(猪組)。」「ある(狼組)」。うちは鳥だが、やはり蛇のカードももっている。どうだい。ひとまずしばらく蛇の話をしてみないかい。「そうだな」。「うん、それもいいだろう」。

・・・そして、なぜ吉野さんは、これらのことが「産の習俗」の理解となると看破したのだろう? 想像たくましくしてみよう(笑)

 

画像:いのししの土偶縄文時代 青森県

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