レクチャー~WSの方針に関して
みなさん、シュタヌー本、まじめに読んでますか?!(笑)
しつこく、近日開催予定のレクチャー・WSに向けて、練っています。
(1)ヌーソロジーを主体とした論考。
(2)「ヘビのシンボル学」
(3)気の修行をベースとしたもの
自分の場合、この三本が、テーマになります。
(2)に関して言えば、例えば、「ギリシャ神話」のベースが、「ヘビの神話」であったと言われています。
どういうことかと言うと、もともとギリシャ神殿にはヘビを飼っている巫女(みこ)の“蛇巫(へびふ)”というのがいたのですが(画像:https://goo.gl/192MDw)、これは、実際には全世界、ほとんど共通しています。そのようにシャーマニズム研究の白川静(しずか)博士も言っています。
他にも、近年、縄文ブームということもあって、ヘビに関してはいろんなことが言われていますが、基本はそこだと思います。
で、これは自分もすぐに気がついたのですが、「ああこれはヌーソロジーだな」と思いました。
ヌーソロジーの基本に“対化”という概念があって、これは「円心」という双つの円の交差で表されていますが、より単純なものに、線分を使ったモデルがあります。
線分の双つの端点が“対化”で、その回転が“対化の等化”です。
ヘビの古名が「ハハ」というのですが、これは「端-端」ですから、線分の対化なんですよね。
「ハハ-キ」で、ヘビが立ち上がって(あり得ないことですが(笑))樹木になります。
これが形を変えると箒(ハハキ⇒ホウキ)になって、この箒も重要アイテムです。
また、正三角形そのものも、ヘビのシンボリズム、象徴学では、重要な形象です。
そういう面白い(?)話があるよ、というのがひとつ。
今回は、いきなりヘビの話をしても唐突すぎるので、ヌーソロジーの基本の「観察子構造」のうち、「ψ1-2~ψ3-4」のベースの部分で、自分がなじみのある「気の論考」と照らし合わせて、やってみようかと考えています。
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具体的な話として、ヌース用語の「表相の中和」というのがあるのですが、それは実質、いかにして「触覚世界=ψ1-2(ψ4)」が、中和~相殺(そうさい)され得るのか、という問題だと考えています。
「ψ1-2」が人間の知覚の世界です。これは、触覚をベースとして統合されていると言われていて、ヌーソロジーでは「表相」と呼ばれています。
ヌーソロジーは顕在化を扱う思想ですから、ψ1-2(対化)の等化であるψ3にまず焦点が当たっているのですね。顕在化はψ3からスタートしています。
そういう観方のもとでは、ψ3の反映としてのψ4が、ψ1-2となっている。つまり、対化の等化がψ1-2→ψ3、ψ3の反映がψ4ですが、これはψ1-2へと戻しています。つまりψ4は中和です。
より詳しいところでは、「自己と他者の各々の方向性の相殺」が中和だ、ということになっていますが、ここではひとまず、「自己と他者」の関係性は置いておき、知覚の話をしようと思っています。
表相、つまり幅の世界としてのψ1-2が、どのような反転関係の中で、奥行き(ψ3)の世界と接続するのか、という点に関して、具体的に、「身体空間」の中で、意識の変化や変容体験を追いかけてみたいと思っています。
その場合に、奥行きとしてのψ3は、四次元空間であり、双対(そうつい)性の空間なのですから、感覚においても、自分や相手の体を“対象化”して捉えているのではダメなわけです。対象化の感覚は、物質感覚であり、三次元感覚ですから、ψ1-2の次元に降下していますよね。
「体表」を介して、双つの身体が界面的な意識を構成する必要があるということになるわけです。体表と言っても、皮膚ではありませんので、肌を露出する必要はなく、服を着たままでいいわけです。
木村秋則さんは、「自分の畑の土はやわらかいよ。リンゴの樹が根を大きく張って、無農薬でも元気だよ」と自慢していますが、もっと軟らかいのが人間の体の肉ですから、その上を歩けば、そこが「四次元空間」なんじゃね?、っていうのが基本的な発想ですね(笑)
というわけで、ブログ更新しています。
・「人間の外面」と「気」の関係 https://goo.gl/HxjSY3