精神と身体の関係についてパースはどういうことを言っていますか?

-引用-
精神と身体の関係についてパースはどういうことを言っていますか?

1892年の"Man's Glassy Essence"では、以下、

「ある物を外側から、他の物との作用・反作用の関係において見るなら、それは物質として現われる。同じ物を内側から、感覚の非媒介的特徴において見るなら、それは意識として現われる。」
-引用-

ある対象を、外部から対象化して観察すると、それは物質としての相を示す。

逆に、それを内部から、つまり“非対象化”された観察によって見ると、それは意識の様相として姿を現す。

問題は、内部から、非対象化して観察することとはなにか、ということか。

これは、対象化とは感覚(知覚)によるのだから、非対象化とは、脱感覚化のことになる。

つまり、いわゆる「脱表象化」というものの次元において、意識の様態が、現れてくる。

それは、対象化~表象化における物質的意識というひとつのパターンではなく、複層的な、意識の様相を示してくるであろう…

問題は、「どうやって、感覚作用は、“非媒介的”となることができるのか」という点。

感覚とは、意識と対象との媒介物ではないのか…

非媒介的な感覚とは、なんなのか?

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参考:

-引用-
今から100年以上前、パース(Charles Sanders Peirce 1839-1914)は難解な“Man's glassy essence”(1892)において、「(細胞)原形質は感じているのみならず精神のあらゆる働きを行使している」と述べ、「物質は精神の特殊化にほかならないとすれば…」と論じたが、当時にあってこの考えは一般に理解されなかったのみならず、パースを敬愛していた学生にもこの論文はパースが狂っている明かな証拠であるとみなされた、というのは有名なエピソードとなっている。
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file:///C:/Users/KK/AppData/Local/Temp/0060_010_004-2.pdf


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