ヌーソロジーよりお褒めの言葉をいただく

ヌーソロジーの半田さんより、じきじきにお褒めの言葉をいただいた。

これまでにないことである(笑)

「長年、SNSを覗いているけど、こんな文章に出会ったことはないなぁ。
エクセレント!!の一言に尽きる。」https://goo.gl/H3pqNe

しかしおそらく、半田さんに「エクセレント!!」を感じさせたのはパースではないか?

以下、シェアしていただいた本文への、コメントの引用。

・・・・・・

・・・「カントールの無限集合」の概念を使った円心の解説・・・円周は円の中心点の無限個の集まりであり、お互いに「多と一」の対化、というやつを見たことがありますが、

下の、パースの「真連続体」と、パースが言うところのカントールの「疑似連続体」に関して、ヌーソロジーからの解説が聞きたいと思いました。、

(最近、FacebookTwitterで、偶然にもパースという理論家の名前で出ていて気になったところ、読んでみて「なにかあるな」と感じております。)

-引用-
ここで「連続性」という概念をどう理解するかが問題であるが、パース自身、生涯を通して数学における連続性概念について思索を深めていった経緯があり、一つの固定的な捉え方があるわけではない。ただ、1895年以降、彼の思考が成熟していくにつれて、一つの明確なモチーフが浮かび上がってくる[49]。それは、「真の連続体」(true continuum)は、いくら無限に要素があろうと、単なる集合に還元することはできない、という発想である[50]。ゲオルク・カントールは、1874年の論文[51]で連続体を実数全体の集合と同一視したが、パースはこれを「疑似連続体」(pseudo-continuum)と呼んで斥けている[52]。彼によれば、真の連続体は、集合の濃度によって決まるのではなく、要素同士の繋がり方によって決まる。そして真の連続体に特徴的な要素の繋がり方は、「直接的連結」(immediate connection)だと彼は言う[53]。二つの要素、AとBが、ある意味において同一であるとき、AとBは直接的連結の関係にあると定義する。しかし、この「ある意味において」が問題である。

ケンブリッジ連続講義の第三講義「関係項の論理学」に、この問題を解いてくれそうな例がある[54]。連続的な線に点を書いたとする。次にその点の箇所で線を切断し、左側の領域Lと右側の領域Rを作る。そうすると元の点は二つの点になる。一つはLの右端に、もう一つはRの左端にできる。ここで再度二つの端をくっつけると、二つの点はまた一つに戻る。
-引用-

この最後の部分と、

以下のヌーソロジーの文章。

-引用-
最近は「人間の外面って何? 」っ聞かれたときは、図を描いて、こう答えている。「この点Aと点Bを全く同じ位置として見ているのが人間の外面」。
-引用-

「人間の外面を直観する方法」https://goo.gl/CdEL4G
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1264452783677439&set=a.154179988038063.29362.100003381888821&type=3&theater

補足:

-引用-
数学における発見

パースは基礎数学や形式論理学でいくつもの重要な発見をしているが、そのほとんどは死後まで評価されることはなかった。

1860年には、無限数の基数演算を提案した。これはゲオルク・カントールの超限数の研究の前であり(カントールが博士論文を完成させたのは1867年である)、ベルナルト・ボルツァーノの『無限の逆説』(Paradoxien des Unendlichen;1851)へのアクセスがない状態で書かれている。
-引用-

参考ページ:パース https://goo.gl/4fpWpR https://goo.gl/JPHupQ

(当方、数学はシロウトです。)

・・・・・・

おそらく、この「二つの点と一つの点」の問題は、パースのプラグマティズムの起源の問題にも関係のあるという、「実験心理学」が関係していると予測する。

つまり、体表における「二点弁別閾」の問題である。

この二点弁別閾が、実験心理学の基礎であるといい、しかしてその実体は「円心」モデルではないかと予測する。