ψ1-2→ψ3 シャーマニズムの意味合い

思うに、「ψ1-2(α7-8)→ψ3」の部分、「表相の等化」が、「表相の中和」となることで、対象認識やそれにまつわる知覚のあり方が無効化、 キャンセルされて、表相の対化が、方向性の対化として顕在化する部分。ここで意識の覚醒、精神の顕在化というものが引き起こる。

(この文脈、表相の対化の文脈では、「中和(=蛇のもつ「二重性」の特徴)」は、肯定的にニュアンスされる。)

この部分が、蛇神の思想や、もろもろのシャーマニズムの急所かもしれない。

いわゆる「宗教」というのは、より上位の、高々とした階層性の、上位精神の螺旋状進化が、低次の、人間の意識の次元に、転倒したかたちで畳み込まれたものであると考えることができ、その延長上に、科学思想というものもあるということになる。

したがって、大局的には、そのような人間の精神の倒錯したありさまの総体、転倒したありさまの総体としての、「宗教~科学」の歴史観の描像が、ひとつ、ヌーソロジーという体系のテーマであることに違いないが、

ψ1-2→ψ3という、意識覚醒のいわば「急所」部分に、ある種のボトルネックというのか、蛇の鎌首というのか、あれがうまいだのまずいだの、どのようにうまい、まずいか、問わずして、そのものとして、丸呑みできるかどうか。

そういう感覚が問われるのではないか(笑)

その意味で、この「地球」は、一匹の蛇であり、それは、「新たな太陽」へと向かい、鎌首をもたげた蛇の姿となっているのだろう。

それは、太陽系のシステムの全体像とは、じゃっかんニュアンスが違うのかもしれない。

その意味で、ヌーソロジーはやたらと混み入って難解である一方で、極端にシンプルな、いわば「宗教以前」の何かを、宿してもいるのではないか。

(なぜシャーマニズム系の人がヌーソロジーに惹かれるか(笑))

 
図:ψ1-2→ψ3の光景を捉えたのであろう、蛇の形象。『日本人の死生観』表紙。

 

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