「性欲」に関して

用語辞典の「性欲」の欄に、

「変換作用を起こす元の力」。
「核質(男性の性欲)」と「反核質(女性の性欲)」。

とある。

アメリカのニュースで、女性教師と男子生徒の恋愛が取り上げられることがある。

ふつうの日本人、とくに男たちは、「白人女は性欲が強いからのぉ」などと勘違いしてしまうのだろうが、おそらく話の文脈が違う。

おそらく、共同体的なニュアンスとして、年上の女性が年下の男どもに性を教授するというあり方を“認め”つつも、(共同体にとり、それが自然な性教育となる)、その行き過ぎや、学校生活における摩擦、軋轢などの実際的な問題性について社会的に問題提起したものと思われる。

現在の日本社会のように、共同体意識が極端に薄い場合には(資本主義の行き過ぎ)、そういう微妙なニュアンスがくみ取れない、ということなのだろう。

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「核質」に関しては、以下がある。

「人間の内面の意識に生み出される一個の客観的モノという概念。三次元ユークリッド空間の概念を作り出している力。容器図式の元そのもの。人間の内面の内面という言い方もできる。」

物質認識に陥りやすいのは総じて男の方である。

「人間の内面の内面」に落ち込んでしまうと、精神の方向を見いだせなくなるだろう。

反核質」は、

「核質の上次元側にあるもの。対化の外面側から核質へ関与を行うための力。核質の次元の観察を行う力。」

などとある。

「核質の上次元」「核質の次元の観察を行う」

とあることから、セックスにあって、男の性行為は、女の側から「観察」され、「調整」されるものとなっているのだろう。

「変換作用を起こす元の力」となるべく、観察され、調整されているのだろう。

これは、女性が意識的にそうしているというのではなく、無意識のうちに、女性の性のあり方が、そのように方向づけされているというニュアンスだろう。

男の性欲の傾向は、「核質」的な要素、物質的であり、対象的である。

これは、フェティシズムと関係があるだろう。対象を物質と結びつけようとする情動の力。

これを女性はうまく観察し、四次元的な方向に導くことができる、というニュアンスだろう。

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その意味で、女性からの具体的な性的関与の機会を失った男の性欲のあり方は、とことん物質化してしまうということになる。

昨今、男児を育てることのむずかしさが言われている。

男児が敬遠される傾向が強まっている。

昔と逆なわけだが、おそらく昔も、母親そのものは、どちらかというと、女児を歓迎するむきがあったと思う。

男児を歓迎するのは、母親(嫁)というよりは「家」である。

これは、制度が「男」というものを棚上げしておかないと、なかなかに男というのがもたない、という現実を示している。

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では実際にセックスレスの傾向が、「変換作用を起こす元の力」を減退させているのだろうか?

あるいは、セックスレスにより、変換作用としての性欲が、ある種、“止揚”され、精神の進化といったものに“昇華”されているのか?