「交差」ってなんだ?
「交差」に関して、
自分的にはあんまり「交差」という概念でイメージしてこなかったので、
正直なところ、よく分からない。
交差という用語を用いて、自分なりの文章を書いたことがほとんどない。
対化、対化の等化、対化の中和、負荷、反映…というような用語で、
自分なりに、我流で、いじりまわしており、
(こういう人はスキーと同じでちゃんと上達していきません。気をつけましょう(笑))
「対化の交差」というのが、やはりあるね。
-引用-
●対化の交差(たいかのこうさ)
対化の内面としての力(真実の元止揚の対化)が反映を行っているということ。思形と感性が生み出されているということ。Ω7~Ω8、Ω*7~Ω*8が互いに交差しているということ。
-引用-
分かりますか?(笑)
次、対化の等化、対化の中和。
-引用-
・対化の等化(たいかのとうか)
Ω13の精神が作り出す等化。観察精神の働き。対化の外面と対化の内面が等化を持つこと。顕在化した定質と性質を等化させるための等化。対化の等化においては、真実の定質と性質の等化と顕在化における定質と性質の等化が同一化する。これは観察子でいうと、Ω13とΩ7が上次元と下次元の関係で重畳するという意味である。ヒトの総体が観察精神へと入る等化作用。ヒトが生み出される等化作用。
・対化の中和(たいかのちゅうわ)
対化の等化に反映される作用。すなわち、性質の等化。精神構造の総体を物質として映し出す付帯質の空的な場そのもの。観察子表記でいえばΩ14(妙性質)。哲学的に言えば、存在と存在者の関係が対化の等化と対化の中和の関係に当たると考えてよい。対化の等化に対して対化の中和は物質として働き、対化の中和に対して対化の等化は変換性(意識)として働く。対化の等化と中和の関係は、総体の内面と外面に当たる。
-引用-
けっこうむずかしいです。
対化の等化=Ω13=観察精神。
対化の中和=Ω14=妙性質。
みたいな感じか。
-引用-
● 妙性質(みょうせいしつ)
定質によっても相殺することのできない性質の力の対化。中和に生まれる無限力の対化。上次元から見た人間という存在。妙性質の対化の投影が人間の男と女の肉体。真実の力の無限性。
-引用-
この中和の特性、なんかいいですね(笑)
東洋的というのか。性の本質力、みたいなところへの言及、というのか。
吉野裕子が研究していた原始時代の性信仰の世界は、ここ(妙性質)かもしれない。
「性質の力の対化」という言い方をするようだ。
こういうところまで言及しているというのがヌーソロジーの一筋縄ではいかないところかと。
他に、「位置の交差」といった用語の説明はないが、
交信録を検索すると「位置の交差」が出てくる。
-引用-
ブラックホールとはなんですか
人間の内面性を反転するための位置の交差の中間点。
-引用-
-引用-
釈迦もオリオンの働きで出現したのですか。
そうです。オリオンの力を相殺するために生み出した一つの位置です。その他、数多くの位置の交差をしてきています。
-引用-
-引用-
核質とは位置の交差。位置が生まれるところにあるものとの交差。
-引用-
他に、哲学用語に、「交差配列」がある。
メルロポンティの用語。
-引用-
●キアスム(chiasm)
メルロ・ポンティ(フランスの現象学者)からの借用。交差配列の意がある。対化の二重性。対化が二重性を持つことによるメビウスの帯状の捩じれの関係を生み出す。反映、反対、逆性の三位一体性を作り出し、ケイブの構造概念の基盤となる。
-引用-
・・・・・・
「だよねだよね」というのは“同質性”なわけだから、
違い、間違いが「コミュニケーション」に資する、と側面が出てくる。
「ぜったいに、人間の書くプログラミングにはバグがあります」。
そういう時代だから、むしろ「間違う」ということが意味がある。
「正しい」というよりも「間違い」に対する認識が重要になってきた時代だ。
そして「間違う」のが「当たり前なんだ」という常識化の必要性。
間違ったもん勝ちである。
そういう意味では、ヌーソロジーはいいですよ(笑)
主催者自身が、始めてからこの方「間違いっぱなし」ですから(笑)
(最近はほとんど間違いは出ていないそうだが、私はあやしいと考えている。)