ヤシロチだけでなくケカレチも必要

土地にイヤシロチ・ケカレチがあるように、人間の傾向にもそれが生じる。しかし、イヤシロチばかりが良いようで、そうではなく、イヤシロチ的傾向が高まり過ぎると、それはそれで問題が生じる、とのこと。

これは自分に当てはまる。子供のころから体力不足を感じているので、常に元気を補填しなければとの思いがあり、若い時分は酒の力を借りており、結果、内臓を痛めた。そして氣の修行をやり始めるようになった。

イヤシロチ的な傾向が高まり過ぎると、現実的な対応能力が低下する。事務作業など大の苦手となる。そして、事務作業から逃げるために、またぞろ氣の修行にはげむが、やるべきは、エネルギーの状態をいったん落として、社会の現実的業務に当たるという切り換えである。

誰でも“指導霊”という存在があって、自分の選んだことの中で助けをもらっていると考える。しかし、現実の、人間の師というものがやはり必要で、なぜかといえば、実際にさまざまなトラブルが生じてきた時に、ひとりでは対応できないからである。

友だちを作る。恋人を作る。結婚をする。どこかに弟子入りをする。どれも「決意」を必要とする。「なんとなく」ではなく、自分から、「こうしよう」という自主性のことである。そして、自分で決めたことなのだから、その結果もまた、自分で受ける、という覚悟が必要となる。

自分でなにかを決めて、その経過をよく見て、結果として生ずる責任を取れる、ということ。これは、幼いころからの教育ということもあろうが、その人の生まれついた性分として、それができる人間、できない人間というのがいて、

それができず、周囲の影響を受けやすい、主体性の未熟な人間は、とにかく、自分でなにかを決めて、おそらくはそれは失敗するだろうが、それでもそれを繰り返す中で、なにかをつかみ取るしかないのだと思える。

退職金の中から1千万を使い、古びた旅館を買い取ったYさん。定年後、温泉のある旅館をやるのが夢だったとのこと。行ってみたら、ほぼ廃業状態になっていた。「奥さんには大反対されて家族の助けは得られない」とのことだったが、やはり失敗だった。

愚かな行為を避けるに越したことはないが、それが失敗に終わったとしても、そこからまた立ち上がる中で、「自分が決めたこと」からなにかをつかみ取ることができているはずだと思う。

「夢を実現した」という自己満足。そして、自己満足を果たすために周囲の反対を押し切ってしまった愚かさ。現実は厳しいと言わざるを得ないが、その中から学ぶしかない。

・・・・・・

検索すると、旅館を7年間、がんばられたようだ。600円払って温泉に入る客が2~3人しかいなくとも湯を沸かしておかねばならない。それでも旅館の主になるのが夢だったのだから…。老いた父が女性問題を起こした時に、Yさんの旅館にお世話になった。その後、父が所有していた観音像をあずかっていただいた。

父をめぐり、キツい記憶が多い。今、闇に封じ込めた辛い記憶が温泉のごとくなにもかもが一気に吹き出し…というか、ひとつ想起されては、また次、そしてまた…と間欠的にエンドレスに続く。「起こっている眼の前の嫌なことから逃げる」ということの、しっぺ返しというものが必ず来るということ。

成功する人と、失敗する人がいる。事業に成功する人は、大きな夢を見つつ、現実能力もふんだんに持ち合わせている人だろう。イヤシロチ的な光だけでなく、ケカレチ的な、ネガティブな側面をしっかりと直視する冷静さ、勇気が必要となる。

そしてもし、それに失敗したとしても、そういう自分の限界、未熟さから逃げないことだ。目の前で起こっている現実を見つめ、なぜそうなのか、自分になにが足りないのかを自覚し、「永遠の“次”」につなげていかねばならないと思う。