次元観察子の下降ルートは空間観察子の上昇ルートか?
下降ルートに関する試案。
もしかして、ψ1-2の中の「空間観察子」かもしれないね。
表相ψ1-2の中に、空間観察子というものがある。
これ、あんまり言及されていませんね。
たんに、空間観察子はユークリッド幾何学空間のようなもの、という説明があるだけで。
ユークリッド空間のようなもの、ということは、それとは差異があるということで、
それは「身体表象」あるいは「身体空間」をめぐる、幾何学のようなものではないか、という試案。
それが、空間観察子における「内面・外面」を構成している、と。
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ψ7-8の中の下降ルートが、ψ1-2(α7-8)の中の上昇ルートとして逆転しているという構造。
「空間観察子」に何かがあるかもね、というのは、これまでも言われてきたところ。
進化の反映が、「身体表象」としての反映として、身体(物質的身体)の中で、下降ラインをたどるということと、その下降の運動の中で、そのような反映(中和)のあり方が、より確実化されてくる、ということはあるかもしれない。
身体感覚の世界では、むしろ意識の退行方向に、確実的ななにかがある、というのは、みなさんよく体験されることがらではないだろうか。
-引用-
私は、気功は「前進的・建設的」な意識ではなく、「退行的」な意識に結びつくものだと考えます。ここで退行と言うのは、必ずしも進歩ばかりがいいとはかぎらないので、ふりかえってみるだとか、時間をさかのぼって、進歩の中で捨ててきたものと調和してみようという考え方です。
-引用-
十牛図の、牛の上に後ろ向きに座って笛を吹く童子。
-引用-
それは物の生産ではなく、象徴を生産する行為だともいえます。気功の起源は「象徴生産」とかかわっていたのだと、とりあえず言ってみたいと思います。
『気功への道(津村喬)』p.28
-引用-
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すなわち、身体感覚~身体表象においては、
それが退化・退行、より正確には、単純化された時に、ある種の「逆レンズ」のようにして、その次元が確実化される、という構造。
その意味で、次元観察子の下降ルートを、「中和後手」にたどるのではなく、
(中和は等化のキャンセルであり、下降ではない、と。つまり、あくまで精神の進化を押しとどめる作用を示す。(「中和(4)は反映(2)に押し返す働き」))
次元観察子(ψ1-2~ψ7-8)の、下位の構造としての、空間観察子(α1-2~α7-8)の、上昇ルートというかたちで、上位の次元観察子の下降をたどる、と。
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いずれにせよ、次元観察子、空間観察子の、構造的理解が必要になる。
自分はまだ理解していない。