私のシュタイナー体験
とくに食の問題を入り口にしてか、精神世界的なフレバーが、とくに女性を中心に一般層にまで広がってきている雰囲気を感じる。
シュタイナーがおしゃれだという感覚は自分はないのだが、ヴェレダなんかの生活素材のイメージもあいまってか、関心を集めている気配がある。
今どきのイケテル女性たちの動向にうといが、ネットで知り合った方(20代女性)などがそうなっているし、また、知り合いの関係者の方の言によれば、「スタンダードになったということ(シュタイナーの人智学が)」だそうだ。
趣味で読書をやってきた以外は、知的な環境にうとい人間なんだが、ご縁があって(やっぱりそれもヌーソロジーなんですけどね(笑))それなりの期間にわたり、人智学の講義や勉強会などに参加した。
しかし、結論的には、残念ながら能力が追いつかなかった。
ただし、2年間ほど通ったオイリュトミーね。あれは今でもなんかしら強く残っているものがある。やってる人も多いのではないかと思うが、ヌーソロジーの知識があると、いろいろと見えてくるものがあった。
基本のかたちは「逆五芒星」。生命力の象徴。
おもしろいのが、「右に行く時に右側を向いて、ということでは、右ではなく正面になる。だから、右に行く時も正面を見ながら動いてください」の部分。
これは、ヌーソロジーで言われる「知覚正面」というやつを想起させた。
動きの構成は、全般的に、ヌーソロジーで言う「対化」のバージョンが多いような気がした。
身体というのは対化のかたまりだ、みたいな言い方がされてもいる。
(オイリュトミー講師は、オイリュトミーやっておればいいんだ。人智学の本質が理解できるんだ、とまで言っていた。要するに、その本質をたどる場合に、身体側からのアプローチのやり方が用意されているということ。)
今はさっぱり出かけなくなった。
なによりも仕事が楽しくなったよね。最近は。疲れるけどね。
現時点での感想としては、人智学というのは普遍的な部分もあるが、コアなところでは個別性を指向していて、これは普遍とのバランスでとうぜんそうなる。そしてそれは、身体や風土と関係してくるということ。
ヨーロッパ人、そしてキリスト教、ということが意識されているのではないだろうか。ひとつの前提として、コアな部分に進むほどに。
知的な環境、勉強の場、あるいは異空間としては、とても魅力的でありながらも、自分の場合には、生活に根ざしたものとなるには到らなかったかなと。