他者と重力 Φ=WHY?さんのお話

「コミュニケーションの不可避性」という生活上の大原則が、たとえば、数学者のゲーデルの「不完全性定理」とむすびつく。

これはおそらく、確かなことなのだろう。

しかし、それを説明する、説明できる場合に、ある程度の数学的知識、能力が必要とされる。

その点、Φ=WHY?氏のお話には、それ相応の説得力があるのではないか、と期待できる。大学で数学の基礎を学んだ後、在野での独自研究を続けている人である。

ヌーソロジーの文章を、「かなり難しいな」と思い、ほとんど期待はしないが、Φ=WHY?氏のコメントを読むと、ますます難しい。

こういうことの連発であったが、それはそれで仕方がない。こちらに数学の知識がないので。

その点、S博士は、数学や物理にほとんど関心をもたない高校生たち相手に、授業をしていたという経験が、数学物理の素養がないヌーソロジー周辺の者たちへのアプローチにあって、有利に働いているのだろう。

それに刺激されてというわけでもないだろうが、以下のお話は、ヌーソロジー的な「重力」の解釈に照らし合わせての意味でも、かなりそそる。

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また、自分がまっすぐに見えていると思い込んでいるものが、必ずしも他人にはまっすぐに見えていないということはよくあります。

それは例えば、物事に対する認識の差異がもたらすものとも言えて、一般相対性理論における重力解釈で言っているように、「時空は重力によって歪んでいる」という言説と同じではないでしょうか。

つまり、人間はそれぞれ価値観やそれに基づく考え方みたいなものが違っていて、同じ物事を見ていても、「まっすぐ」に見ているものが全然違っていたりするわけです。
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-引用-
●重力(じゅうりょく

上次元における対化の等化(Ω9)と下次元における対化の等化(人間の内面の意識の等化)が交差しているところに働く中和の力。対化の外面に方向を持った思形の力が、逆性として人間の内面に同一化を持つところに生まれている。人間の内面の意識が持った力そのものという言い方ができる。重力を記述する一般座標変換は2度の超対称性変換で対称性を持つが、これは、Ω7→Ω8→Ω9という等化のプロセスに対応していると考えられる。ヌーソロジーでいうΩ7とΩ8の関係が超対称性に当たる。
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…とりあえず、重力=人間の内面の意識がもった力そのもの、ということでいいかと。

それを人間の外面の方向に向けるにはどのような見方が必要になるか、ということ。

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