「★自我の正体①「思考する人」~クリシュナムルティの大発見~」

とうしんさんが面白いのではないかという感じつつも、現状手いっぱいだったが、初ブログを試みた。

(まだ読んでいない人は、全部読んでからどうぞ。)


-引用-
「悩み」「痛み」「焦り」それ自身が苦痛の原因ではないのです。実際にこのミゾがなくなると、「悩みそのもの」、「痛みそのもの」、「焦りそのもの」となります。そしてそれら純粋な経験は、何ら苦痛を呼び起こさないことが分かるでしょう。

このことは禅の世界で「二念を継がず」という言葉で知られています。その意味は、座禅中に雑念が湧いても湧きっぱなしにしておけばいいということですが、座禅だけでなく、日常生活の全てにおいて徹底されるべき修行上の要となっています。最初に湧いてくる「初念」には問題がないということです。例えそれがどんなにヒドイ「初念」であったとしても。初念に続く「二念」において「思考する人」と「思考」に分離してしまうのです。それが問題です。

二念を継がないことで、身体的苦痛ですらやわらぎ、もしくは消滅してしまうことがあります。実際に外国の軍隊で、兵士が身体の不調やケガから最短で快復する方法として、その不調箇所を自分でモニタリング(監視)するという方法があるようです。治るイメージをするという要素もあるのでしょうが、それよりもしっかりとその故障箇所を認識することで自己治癒力がアップすることが知られています。
-引用-

恥ずかしながら「二念」を初めて聞くが、

「二念を継がない」ようにしつつも、それがあたかも初念であるがごとく、ループ状に送り込まれてくる変化球の二念が出てきたりして、油断がならない。

シャドーというのか、ほんとうに、意地の悪い、賢い自分がもう一人居るような…

基本、痛みというのは「それそのもの」だろう。

一般に、女性よりも男が痛みに弱く、一般にというか、ほとんど弱く、それはおそらく、0.5秒の二念の逆回しの情報空間、幅空間が、肥大しやすいのだろう。

「女性は産む性だから、痛みに強い」という。これはむしろ逆で、痛みに直面できる意識のあり方がデフォルトで、男の場合はそこから逸れやすいのでは?

今、治療済みの奥歯の歯根部に炎症が出ていて、検索すると、これがとんでもない激痛に変わることがあるらしく、恐怖におびえている。再歯根管治療をトリガーとして、激痛が引き起こる場合もあるそうだ。「脳の擦り込み~錯覚現象」により痛みの記憶がルーブしてしまうという説明もある。最近、よく聞く話ではある。

運動器の場合、ケイラクが全部歪みを記憶しており、それを逆回しに追いかけていくと、どんどん昔の痛みの箇所が再現されてくる。それを痛みとしてその人の感覚や意識につきつけることで、治る、クリアする、という過程が生ずる。

それが残っているのは、やはり、痛みに向き合わないことということであり、やがて、子供が疲れて泣き止むように、痛みも声をひそめるわけであるが、これはもぐっているだけである。声を出さないだけで、そこはおかしいままである。

そういうズレを許容しやすい意識に、今の私たち現代人があることは確かで、それはおそらく、体のことだけでなく、人間の文化や歴史にも言えることなのだろう。そのような再現、再生現象に関して。

そういう意味でも、この「主体、思考、対象」に関する考察は極めて重要であると感じた。

それでは続きを楽しく読ませてもらおう…

参考ページ:ブログ 「★自我の正体①「思考する人」~クリシュナムルティの大発見~」 https://goo.gl/DmN7hO