ナメコ、旧くはだんご三兄弟など

ちょろっちょろっとヘンなものの流行があり、最近だとナメコとか、ひと昔前だとダンゴとか。あれは“蛇”もしくは“シャグジ”のバージョンではないかと考えている。

人間という、中和的な存在の中にあって、“精神の方向性”というものが“相殺”されていることで、“意識に進化がもたされず”に、人間の、中和としての意識の中にとどめ置かれているということ。

動物の手足が、“進化の方向性”の反映だということなので、爬虫類、トカゲ、さらにヘビとなると、方向性が喪失してしまう。相殺されているということ。

ただ、ヘビの教えというのはひとひねりしてあって、手無し足無しのヘビが、そうであるがゆえに、“全体としてのひとつの足だ”という言い方をする。これは、たんなるヘビではなく、ヘビ神としてのあり方です。

つまり、手足という進化の方向性としての精神の発現が、相殺されるのが爬虫類意識であるとして、それを徹底していくと、ある種の、中和=相殺作用の“完全化”がもたらされることで、なにがしかの“反転”が引き起こるということ。

人間における手足的な尺度は、“人間の意識”としての、進化なのでしょうね。そしてそれが進むだけ進むと、今度はそれを“相殺”する段階に入る。それが“人間の進化には爬虫類の意識が必要だ”ということとつながる。

人間の意識の進化は、上次元の精神の“反映”である。そのようにして、人間の手足の、尺度空間、つまり時空世界というものが発展する。しかし“最終構成”を迎える際、それが逆に、相殺方向に向かうということ。

ナメコ=キノコは、手足がないわけです。しかし、全体として「↑」的な、姿をもっている。ダンゴもそうで、串で刺した三つのダンゴが互いに“相殺”されることで、(互いの表面での感覚の相殺作用)、「↑」としての串、というものがある、というふうにも見てとれる。

で、そのように、シメジ君を解釈したとしましょう。どうでしょうか。こんな話を

他の人に“説明”できるのかどうか。

いずれにしても、おそらくは、ナメコやダンゴ三兄弟的な、不思議な流行が、これからも出てくると思う。その時に、それが出てきた背景としての無意識を、なんとかうまく説明できないものか、ということ。

 

※「なぜキノコのキャラクターがブームになるのか」https://goo.gl/NuZoyG

 

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