なぜ、縄文の太古の土器は、ぶどう種作りの土器だとしつこく主張されるのか

縄文時代の有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)。これは、酒造りの土器だという説と、太古だとする説に分かれているらしい。有孔鍔付土器は武藤という学者の命名で、この人は酒造説をとる(1963年)。

これに対し、学者の山内氏が太鼓説を唱え(1964年)、“世界各地の民俗事例にみられる土製太鼓との類似姓を指摘し、小孔に詮をして反膜を止め太鼓として用いていたと推測”。

再度、長沢氏が、酒具説を補強し、土器の中からの山ぶどうの実の発見事例や、“小孔は醗酵過程で生じたガスの排出口であると推定”。(1980年)

これに対して、打楽器奏者の土取氏や学者の小林氏が、酒具説を否定。太鼓説を取る。

映像化されたものをみれば、この有孔鍔付土器は、太鼓の土器でしょう。ほとんど確実だと思う。しかし、それがぶどうからぶどう酒を発酵させる酒具であるという学説がゆずらない。これは、ひとつの学論が学派を作り、研究費用がついているからだろう。

1人の学者の学問的な場での力が強いほどに、その学者が提唱した学説はなかなかに変わらない。この縄文の太鼓の土器のケースは、たまたま“外部”から、現役の楽器奏者、太鼓奏者の研究が入ったレアケースであり、このパターンは、吉野さんのケースを思わせるものである。

吉野さんはたまたま、“扇”の研究での先行研究がなかったので、邪魔をされずに済んだというだけの話だ。また縄文時代の蛇神の場合にも、ほぼ同様である。“古代の性”という、研究対象が男の学者ではひじょうに分析がむずかしい、

というか、分析という方法では理解できない何かであったために、女性である、吉野さんが、女性が作った文化である縄文の蛇信仰の世界を、学論として再構成できた、ということである。これもまた、先行研究があれば難しいだろう。

実際に、他の研究者による研究により、実質、埋もれてきているのではないか。吉野さんの研究は。なかなか吉野さんに続く女性研究者が出ないのだろうね。それだけ古代の感性を言語化するのは難しいということ。それは古代の身体性の獲得に直結する問題であるからして。

有孔鍔付土器 https://goo.gl/Qg2fFJ

土取利行/縄文の音世界を求めて 有孔鍔付土器の復元(1990年)



土取利行/縄文の音世界を求めて1prehistric sound research of japan T.Tsuchitori


土取利行/縄文の音世界を求めて2 prehistric sound research of japan T.Tsuchitori


土取利行/縄文の音世界を求めて3prehistric sound research of japan T.Tsuchitori