ヒトの意識におけるカタチが、人間の反対における形質となって、最終構成を起こしている

本日、朝起きて、ベッドに座りながらスマホ入力して、“かがい”と“原初舞踏”について考えていた。

この場合は、原初舞踏の稽古場で為されている“床稽古”のことである。

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“かがい”というのは一般的には、盆踊りなども関係し、集団での性的な乱交的なものとして論じられる傾向がある。

その意味では、特定の舞踏の稽古と、かがいを結びつけるというのは誤解を招くにきまっているので、ほんとうはやめた方がいいのかもしれない(笑)

(古代の儀礼や習俗は、現代人がイメージする場合に、ほとんど的を得ない。現代の感性でそれを解釈するからである。なかんずく“古代の性”に関する知見は、ほとんどそのパターンとなる。)

●性欲 総体的な力の元となるもの。変換作用を起こす力の元。核質(男性の性欲)と反核質(女性の性欲)。

“変換作用”は、“人間の最終構成”と関係がある。そして、それが起きてきた時に、“対化を顕在化”させるのが、変換作用で、顕在化した対化の関係性をめぐり、等化作用と中和作用が作用する。(等化と中和は対化として働く。)

●変換作用(へんかんさよう) 人間の最終構成が生まれたときに、対化を顕在化させ、次元の方向性をもとに戻し意識を一度相殺するための等化作用のこと。定質と性質の交替化を作り出すための等化と中和作用のことをいう。

●人間の最終構成 核質が中和され…物質概念の消滅…、付帯質の内面が顕在化を起こすということ。次元における個体の働きが終了するということ。脱-表象化の意識が芽生え始 めるということ。人間の意識がヒトの意識への進化のための準備を始めるということ。人間が反対を見い出し変換人化するということ。

“核質の中和”とあるが、“核質”とは、物質概念による意識の構成のことである。“物質”というと、対象化された客観物であるが、日本語の“モノ”は、よりびみょうなニュアンスをもつ。

これは、日本人は、モノをモノとして、直接的に、直観的にその本質を把握する、なんらかの能力をもつからで、これは、日本人における“呪術性”と言われることもある。(呪術性とは誤解されやすい言葉だが、確かに日本人にはそれがあると言われる。)

冥王星=PL”の頭文字ともなった、科学者~天文学者のパーシヴァルローウェルは、来日し、日本人の文化を調査した。その霊性におけるモノの特殊性は独特である。

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https://anbakoyawa.exblog.jp/20155268/

“日本人とは何ですか

今の人間の核質です。位置の転換はほとんどがこの核質によって行われています。

交信記録 19900724”


“核質の中和”とあるのは、そのような核質の働き…3次元的な対象化された物質的概念…を、中和、つまり、なんらかのかたちで無効化する、というような話だろう。それは当然、“今の人間の核質”であるところの、“日本人”の意識というものが強く関係があるということになる。

西洋人の意識は、物質概念の中にある。身体すら、物質として捉えている。日本人は、“転換位置”としての“核質の中和”の働きをもつために、核質に対するなんらかの“意識の特異点”のようなものを持っていると考えられる。

私の場合はそのことを、“精神”の働きであるよりも、“身体”ということに関した何かはないかと把握し、超心点~表相の中和~体表、といったヌースの用語につなげて考えている。

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“変換”の反映が“転換”で、この二つは“対化”している。

つまり、等化作用と中和作用の関係と同じである。

変換作用があれば、その反映として、即座に転換作用が起こるはずである。反映とは、ある種の宇宙法則としての自動性によるものであるからして。


●転換作用 顕在化した変換作用の反映。位置の転換、力の転換を総合した言い方。

・位置の転換 ヒトの外面として作用しているカタチを顕在化させること。形質を作り出すこと。

・力の転換 ヒトの内面そのものの次元に意識が進化し、その反映を作り出すこと。意識の相殺と同じ意味。


“顕在化した変換作用”とあるのは、潜在性においても、変換作用があるということである。これは、人間の霊能力などと言われている。

宗教や修行的な霊能力開発において、“性的な禁欲”と、それによる性エネルギーの変換作用への活用が為されるのは普通ではないだろうか。

修験道などで、山の神が女性であり、女人禁制であるとされるのは、修行者たちが原則的には、性的な禁欲をなにほどかやっているからだろう。

●性欲 総体的な力の元となるもの。変換作用を起こす力の元。核質(男性の性欲)と反核質(女性の性欲)。

性の欲望が、変換作用を起こす力の元となるわけである。それは、性欲の変質を意味しているだろう。

今の日本社会では、恋愛レス~セックスレスが広がりつつある。これは、“最終構成”という時代に際するところの、性欲の変質を意味しているのではないだろうか。

日本人に“転換位置”としての働きがあることとも関係しているのかもしれない。(日本の文化では、性欲は肯定的にみなされてきた。身体と性を肯定し、その欲望が、広く、さまざまなかたちで昇華される文化のありようが展開されている。西洋ではこれは魔術的な営みとみなされる。)

…それはともかく、

“位置の転換”が、“ヒトの外面におけるカタチの顕在化”を促し、そのことが“形質”を作り出しているという点に注目する必要がある。

“人間の最終構成”の説明に、“人間が反対を見い出し変換人化するということ”というのがあったが、これは“人間の反対”のことである。

●人間の反対 形質を持つもの。モノの中にいるもう一方の自分を人間が見いだすときに生まれる進化の方向性の力。形質が生み出されることによって付帯質の外面から付帯質の内面へと次元が変わり表相が中和され、人間の最終構成が生まれる。

ここはとても重要な部分だと思う。

変換作用の反映として…性欲の変質がそれを促す…転換作用が引き起こるが、その転換作用では、ヒトの外面において作られる“カタチ”が“形質”を作る。つまり、“ヒト→人間の反対”のルートで、“カタチ→形質”という“次元降下”が為されるということである。

そして、そのように降下した“形質”が、再び、人間の反対として人間の意識に関与することで、そこである種の“意識の錬金術”のようなものが起きて…身体的な領域である…

そのことが、再度、“最終構成”を促すという、循環性の回路になっているということが分かる。

その意味では、以下の図のように、形式化されているというのは、“精神の観察位置”という構造論的なメールマークであって、

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人間の意識や身体における“生成”現象としての、変換や転換は、人間の反対→最終構成→顕在化→変換人→ヒトという流れの中で、常に循環しているということになる。

…変換人による変換作用が成し遂げられ、人間の意識の成分が、すっかりヒトの成分に変換されるまでの間だろう。

(幅的な時間が無くなっていく世界なのだから、直線的な時間がタイムスケジュールとして客観的にある、ということが少しおかしい。もっと内的な、動的な営みではないだろうか。あるいは、個的なのではないだろうか。霊性の開示とは、個体性のことである。)

人間の意識の成分のうち、1/3が、変換に使われ、おそらく、その1/3が、転換に使われる。つまり、変換を引き起こす原動力として、人間の意識や、身体、あるいは性欲といったものが使われるのだろう。

そして残り1/3が、変換にも転換にも属さない、意識の成分となる。これは、“精神的虚無の領域”と言われ、コンピューター的な仮想現実空間に関係していると言われている。つまり、バーチャリティーである。

その場所は、間接的であり、生命とは関わりをもっていない。よって、変換作用がまったく生じる余地がない。