反環が求めるもの
反環(ハンカン)。それぞれの端に、点と円周を配する。
その端、縁にある、点と円の配合が見えなければ、そこにたたずむ視座がなければ、つまり、円心(エンシン)をもたなければ、反環もまた見えてこない。
科学の世界は、反環の中にあって、反環そのものを観察できていない。
中和の中にあって、中和そのものの構造を見る視座を持てていない。
だから、中和の中で、等化らしき運動性を、疑似的な次元でなぞっている。
ヌーソロジーを学習していると、それが“鼻白く”感じられてくる。
…などと書くと、怒られますわな(笑)
(数式であるというだけで、論理的である、整合的であるといわんばかりの鼻白さ。それって一神教の独善的態度そのまんまだろうという歴史的尊大さ。しかもその手法はイスラムのパクリだろうという胡散臭さ。そういうもの(一見すると根拠レスな歴史的超越性)ほど大衆にアピールした(過去形)というやるせなさ。)
※端=鼻=はな。