太陽~カガミの二重性
太陽の二重性の話、ほんとうにそうだなと思う。
ただ、列島は、ほんとうに、大陸~半島からの支配の歴史が長く、しかして田舎者コンプレックスも強く、その抑圧の呪詛、ルサンチマンが、“アマツカミってる”方向に行きやすい傾向…
とか言ってると、太陽共謀罪とか、反転共謀とかになるんすかね(笑)
太陽が主語的に語られること…
あり得んでしょう、という話があったわけだよね。
「私」と言えるのは神だけだって話と同じだよね。
クニツカミってるというのは、「あなた」と「あなたにとってのあなた」から始まる「あなたとあなた」との関係のあり方だってことで、ええかげんほんまに“なんとなくアマツカミ”な人たち、“引きずり堕ろ”されるまでもなく、“目醒める”べき時期。
具体的には、黄金の蛇が鎌首をもたげる時、「方向性」が発現しているよね。
そこに、“所作”のモンダイがあるって話だと思うといいよ。
太陽があるから鎌首がそっちに向かうって話では、「あなた」ではないんで。
もたげた時のその所作の、そのあり方の、先に、“無限遠点”に、それがあるだろうという…ああこれは“うまいこと言ったもんだな”と。
だからエジプトの人たちも「太陽は」みたいな主語は使わなかったんじゃないかな?
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ただ、これはほとんど確実だと思ったのだが、「方向性」というのは自ずから、おそらく、起きてくる、ね。必ず。
その独特の所作のあり方における、作法ということだよね。
「私は」とアマツカミって太陽に言及すると、ただちに“転倒~倒錯”ですよ。
瞬時に裏側にまわってしまいますよ。正面が。
核エネルギーと原子力エネルギー、おんなじじゃねぇか、みたいな(笑)
ヌーソロジー的には、裏というよりは横か。他者の目線の側に。
あらためて“引きずり堕ろす”ためにも、詩人のビデオを再アップしておきますね。
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