踏み付ける意識のあり方

バランス競技にはたいへんに魅せられる。

とくに、若い人たちの独特の、あれ、なんと言うんですか、

ストリートカルチャー、カスタムカルチャー、

要するに、一般的な尺度で測られることから逃れるような方向性をもつ、あれら一群の現象ですね。

今の42、43歳くらいの人たちから本格的に始まっているような?

イチロー山本太郎といった世代ですね。

・・・

視線というよりも“体感覚”で“対象化”の問題をとらえる場合に、

一時古武道の人たちがしきりに言っていた「居付き」のニュアンスが関係してくるのだろう。

それは、体感覚として無意識的なものだが、おもに、足、足元の様子にそれが現れると考えられていたようだ。

すなわち、「踏み付ける」は対象化の意識であり(対象固定~居付き)、「踏む」という人間の自然の動作は、居付いておらず、左右の足や、体バランスの中で、重心としての流動性をもっているということ。

今の現代の人間のきわめて多くが、この「踏み付け」の意識の中で、多くの時間をすごしていることが分かる。

満員電車の中での踏む踏まれる話がたまに出るのは(踏むものに踏まれた足の痛みは分からないなど)偶然ではないでしょう。

(踏み付ければいたい。無心に踏めば相手は喜ぶ・・・かな?(笑))

画像:トトヘルメス、毘沙門天、ミトラ、ミカエル、etc…

 

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