ケイラク感覚と体表感覚

いろんな思いつきはありながらも、それを文章にまとめる手間と時間が惜しい。最近は自転車に凝っている。

氣の感覚は漠然としたものだろうが、いざ体表レベルに降り立てば、極めて詳細な具体性をともなっている。明らかな法則性がある。

体表感覚としてのケイラク感覚は、初め“円環”的であったが、やがて体質が変わり、直線的なものになっていったのだろう。

おそらく、ケイラク理論を進歩させていったのは当初女性たちだったと思われる。それはおそらく、ケイラク感覚に極めて敏感なタイプの女性の体表感覚に基礎付けられるかたちで展開されていたに違いない。

(おそらくそれは妊娠や出産に関係が深い。たとえば、縄文土器や土偶の、文様と、ケイラクとの親和性。)

そのような体表感覚の世界が、やがてある程度まで図式化され、理論化されると、感覚なくしても、理論や図式でなんとかなる段階になるが、本当の感覚と、それをなぞっているふるまいとは、やはり異なり、正しい羅針盤が徐々に失われることで、方向がズレていったのだと考えられる。

図1は、東洋思想家の増永静人のケイラク図式である。すべてのケイラクが円環状につらなっている。

図2は、一般的に用いられているケイラク図で、円環的である本来のケイラクが、あちこち直線的に分断されている。

図2の直線的な、図式的な利用におけるミッシングリンクは、図1的な全体図にあり、その元は、ケイラク過敏者におけるケイラク実感にある。

たとえば、ケイラクは、あるツボと、その効用を、直線的に一対一対応するような性質のものではない。つまり、傷病名と薬剤との関係のごときものではない、とされている。

また、ツボAは「ここにある」などと三次元的に指示できるようなものでもないともいう。

それは、関係性や流れの中で発現するいわば「生もの」であり、対象的に、直線的に、指示しようとする時、実はすでにそこから消滅している。

(具体的には、あるツボを取穴するには、5本の指を使う。これはおそらく、「4+1=5」の構造※の流れの中で、その発現を感じ取る、ということになっていると思われる。「ここです」などと、指差し確認できるものでは、正確には、無い。相手と自分との、ケイラク×ケイラクの関係性の中で発現するその時々の何かである。※五芒星のごとき構造)

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目は目を見ることはできない。これは“パラドキシカル”である。

では、体表は体表を感覚することはできるだろうか。

しかし、この場合の体表感覚には一定の条件付けが必要となる。

それは、その体表感覚が、“局所的”ではなく“非局所的”であるということ。

それはどういうことかというと、“体表感覚≠触覚”ということになる。

触覚は、指示行為であり、対象化の働きにもとづいている。

逆に言うと、目による指示行為(なにかを見ている)ことは、実は、いわゆる触視性としての目と手の協働において、むしろ触覚的な対象化が先行している。

目は、漠然と光景として見るのであり、それを局所化するのは、触視性における触覚先導の働きであると考えるわけだ。

したがって、体表感覚における非局所化とは、実は、「触覚の相殺」の謂いである。

この触覚の相殺において、自己体表と他者体表とを同時に使うということ。

あるいはまた、自己体表を、そのように、分割するということ。(分身の術のごとき)

このような体表のあり方は、パラドクスではなく、トートロジカルであろう。

逆にいえば、体表において私は私を感じていると自分を抱き寄せる行為といったもののトートロジカルな認識を、切断するのが、自己と他者とを分かつ黄金比φであると考えることができるのだろう。

(非局所性として、体表は体表を知覚できるか、とは、全体性による全体性の知覚の可能性の謂いである。)

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このふたつの身体のあり方を、古代人は、空間的であるよりもむしろ時間的な属性であるとみなしていた。

つまりそれは、脱皮する蛇の身体になぞらえられていた。

脱皮する身体は、古い皮であり、脱皮した身体は、新しい皮である。

そのふたつの属性を、この時間はもつのである。

そして、それをつなぐものは、“目”である。

すなわち、蛇は脱皮すると、体全体が、全身が、ひとつの目になる、まなこになるのだと形容されていた。

それが蛇の脱皮現象である。

古い皮と、新しい皮と、ひとつの新鮮なまなこと。これらが交互に交替するわけである。

それをカカミと言い、これは鏡(かがみ)の語源であり、かか(蛇の古語)+見る、である。

鏡のように、分身となっている。

ダブルである。

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双つのその重なる属性を、より大きな規模の構造に移せば、それは「1年と1日の関係」であり、「神の1日は人間の1日である」ともいう。

イラク現象の原型は、子宮の中の羊水に漂う胎児の体表感覚にあり、そこには、羊水とともに振動する背中側の体表と、それに対する腹側、あるいは関節の内部に屈曲し包まれる裏側があり、これはその反響を受け取る部位である。

それぞれ、陽(背中)であり、陰(腹)である。

人間は確かに、目によって陽の光を察知するが、胎児のいわば太陽感覚はより直接的なのではないか。

それは端的に、頭頂骨の穴から松果体がダイレクトにそれを知覚することだろう。

胎児から7歳まで、松果体は生理的な活動を続け、それは時間にまつわる働きをもつ。

それは文化コード化以前の、円環的な時間であり、それはそもそも、地球の自転と公転のリズムとに、同期同調したものであろう。

すなわち、陰陽の分割は、胎児の体表における黄金比分割に近く、それはまた、地球の自転と公転のリズムとに近いと考えることができる。

そしてそれを観察するのは、月=欠けるシステムであり、これもまた、脱皮現象に重ねられて語られてきたようだ。

言うまでもなく、それをよく知る者は女たちであったというところで、冒頭の内容に引き戻される。

なぜ、そのような、女と月のシステムは、忘却され、以後、かたわな、かくも表層的かつ図式的、たんに意味と意味とをなぞるごとき、浅薄な言葉の理論の世界が展開されたのかという問題となる。

 

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