持続とネンスク

地元のラジオ局で「ずくがない」の語が出ていた。

ほとんど聞かれなくなったが、まだ使っているのかな?

-引用-
ずくなし。根性なし。「おめぇさんのおじ、ずくなしらて」(貴方の弟は根性がないね)。
-引用-

検索すると、「長野県を中心に使われる方言」とある。

新潟でもふつうに使っていたけど、長野は今でも使うのかな?

-引用-
「ずくが出ない。」「ずくあるねー。」「ずくなしだよね。」 こんな感じで、”ずく”という言葉を使っている人がいたら、きっとその人は長野県育ち。長野では方言と思われていないほど浸透している言葉です。
-引用-

-引用-
「ずく」とは主に長野県で使われる方言。 標準語だと根気ややる気、根性、気力などに似ているが適当な言葉がない。「ずく」はやっぱり「ずく」である。
-引用-

-引用-
ずく:しばしば共通語による定義ができないとされる名詞。強いて言うならば、億劫がって何かをやりだそうとしない状態を「(あなたは)ずく無しだ」などと形容する。
-引用-

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ずくは、あったりなかったりするが、ほぼ万人にもともとあるものだろう。

よって、ずくがある、ないは、ずくとつながる、あるいは、つながっているか、いないか、といったことであろう。

これは「持続」の語に近いのではないか。

持続は、もともとあるもので(不動の中心)、事物の背景性、あるいは漠然と背景空間において、それを見守り、また支援する力のことである…

持続は時間と関係があるが、瞬間としての時間そのものではなく、その時その時の瞬間としての時間を把持する、より背景的な、一段奥にある、独特のあり方をしているらしい。

なにかにはさまれているというニュアンスでもあり、それは、ふたつの、次元と次元との、間のなんらかの関係性なのだろう。単位的な時間のように、一方向的なものではなく、次元間の相互的な作用、関係のあり方。

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ズクの語の起源に関してよく分からないようだが、スクと関係があるとの説。

あるいは、ツク→ヅク→ズクということで、付く、憑く、などと関係があるとの説。

にわかに対象化できない、ふたつの間のびみょうな関係のあり方のことだ。

スク→ズクの場合、スクはシュク、宿ということになる。

宿神(シュクジン)ということであれば、これはもともとポピュラーであるので、「ずくが無い」の語のふつうさとつながるし、また、宿神の起源はシャグジ(ミシャグジ、精霊)であるので、この場合、本場は長野で、「ずくが無い」の方言と重なる。

(シュク、スクは、S+K、サキ、ソコ、サカ、などと関係があり、これも、なにかとなにかの間の関係のあり方、場所的な性格を述べている内容であるという。

宿神という場合に、なにかがなにかに宿るというかたちでの一方向的なものというよりも、独特の相互的な関係性の場の中で、なにかが起こっているということなのだろう。

こういうのは言葉にしにくいが、たぶん、日本語や日本人の感覚としては、そういうのはいくらでもありそうだ。言葉としての説明しにくいというだけで。

(というか、日本語というものが、まさにそのような関係のあり方を焦点化した言葉なのではないのかねぇ。)

 

 

 

-引用-
筑後(福岡県)三潴郡酒見村の風浪宮に残る遺跡によって、後でも説明するごとくこのネンはトシ(年)と云ふ事を字音読みにしたもので、従つてネンスクと言ふ言葉の主体は「スク」であって、更に比のスクは前掲のツク、ヅク、ズクの転訛であると信じられる。日本語上ではかういふ転訛は極めて普通に行はれる現象であると共に、この蔓性の植物が他の立ち木に捲きついたものが、神の霊力の懸ったものとせられる事は、わが民族信仰に在る事なのである。
-引用-

九州にもスク~ズクの語があるとのことで、これは本来、土着の思想なのだろう。

年(ネン)宿(スク)。

年、トシというのは時間の単位であるが、これはおそらく本来は単位というよりは、ひとつの形態である。

今だと「全体性」の語に近いのでは?

全体性などというと、分かったような気になっているが、漠然とした概念に過ぎないとも言えるのではないか。

その意味で、逆に、年(トシ、ネン)は、生活の具体性をともなっているとも言えるのではないか。とくに農家の人なんかは。

トシという時間を形態にすると、直線を、丸く、円環状にするかたちである。

全体性、つまり非局所性が、具体的なひとつの行為、おこないとしての局所性に宿るということであり、その接点に独特に複雑な空間のあり方が存在しているのだろう。(複雑な関節のような接合のあり方。)

-引用-
『原日本考』(福士考次郎・昭18)に、ヅクの御柱という章がある。彼はこれを世界樹とは考えなかったようであるが、才之神(さいのかみ)と関係があるとしている。口絵にネンスクの写真も添えられている。元初の世界樹とはこんなものとして表徴されたのかも知れない。自然にできたもののように書かれてあるが、世界樹に蛇が巻き付いているところに見える。そしてこの木の根元には泉があったという。
-引用-

才ノ神は、年の神に関係している。

また、年の神の別名にオコナイの神があり、オコナイの語義が、ズクと近い意味をもつようだ。

-引用-
・おこる〔起・興〕自動詞「起く」の派生形。「行ふ」と同根。起きた姿勢で行為することをいう。

・おこたる〔怠・倦〕 「おこ」は「行ふ」「起る」と同根。継続的になされている行為が、ある段階から低下してくることをいう。「起る」「興る」に対して、逆の方向にあること。

・おこなふ〔行・挙〕 身を起こして行動する。元気にことを為すことを言う。「おこ」は「起(おこ)る」「興(おこ)る」と同根。また「息(いき)」の母音交替形であるから、活動的にたちはたらく意である。「おこなひ」はその名詞形。
-引用-

継起する時間がオコナイであり、その継続、持続の中断がオコタリである。

また、ズクもオコも、生命的なエネルギーに関係している。

生命もまた、対象化不能の、なんらかの、関係性、関係態としてあるもので、これが対象化されてしまう時に、その威力が目に見えて低下するということなのだろう。

-引用-
「おこ」は「息」の母音交替形で、息をはずませ、気力を振い起して、ことにとりかかることをいう。漢字の「おこなふ」と訓する字が、行くこと、前進するという実践的行為的な意味をもつものが多いのに対して、国語は深く息づき、気息をはげますという感性的な性格の語を基調としている。

【起】巳(し)声。金文・篆文の字形はすべて巳に従っており、それならば蛇が頭をもたげてゆく意である。坐して起(た)つときの動作をいい、それよりすべてことを始める意となる。[訓義]1.たつ、たちあがる、おきる。2.ことをはじめる、つくる、たかまる。
-引用-

元気ですかーーっっ!!

参考ページ:https://goo.gl/81CgTq

ネンスク:https://goo.gl/hEd6VC

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