『現実宿り/坂口恭平』と精霊

Twitterより。

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坂口恭平『現実宿り』。夢の中をさまよい歩いているような、魂だけが現実と夢の狭間をさすらっているような不思議で濃厚な読書体験。著者は中沢新一氏から、日本最古層の神、精霊シャグジ(芸能・技能の守護神「宿神」)だと言われたそうですが、まさにその精霊性を全開させた、圧倒的な密度の傑作。
-引用-

「ユクスキュルの「環世界移動」を体現したかのような奇書、あるいは暗号書。ダニはダニ特有の感覚器官による知覚で世界をとらえている。それがダニの環世界。本書では、砂や蜘蛛や鳥や人間などの環世界を自在に往来する。」

アニマンダラで出てくる「環世界」が出てきた。「本書では、砂や蜘蛛や鳥や人間などの環世界を自在に往来する。本来、それは想像力でなされるものであるが、著者は本当に砂の環世界へ移動しているように思わされる。つまり、書かされている」と書評にある。

「ベースとなる語り手は、特定のかたちを持たない魂、精霊であるかのようである。この精霊は、つかのまの間、何かの物、何かの動物、何かの人へと宿り、そこで息をする。しかし、次の瞬間には、別のものになっている。語り手は流転する万物、森羅万象の世界の生成とともにある。」

他にこんなページが。

「「~である」ことが覚醒と正気の世界の論理であるとすれば、「~になる」ことが夢と狂気の世界の論理である」。・・・「在る」から「成る」へ。「ドゥルーズ=ガタリ的生成変化の論理にしたがって、向こう側の世界は表現されている」。

「著者(坂口恭平)は中沢新一氏から、日本最古層の神、精霊シャグジだと言われた」。中沢氏もドゥルーズ読みだそうだから、『精霊の王』執筆にあって、ドゥルーズ哲学の下書きがあったのかもしれない。

「この精霊は、つかのまの間、何かの物、何かの動物、何かの人へと宿り、そこで息をする。しかし、次の瞬間には、別のものになっている」。ここらへんは、“統合失調症”に陥った、
半田広宣さんの20代の体験談と似ている。

自我を脱した個が、非人称性を身にまとった時点で、集合的な無意識、つまり古い意識、動物的な集合意識に埋没しない精神の在り方、というのか。そのための意識的な技法。

(例えば、動物になる。しかしそれは、あくまで人間としての私だ、みたいなこと。)

 

参考ページ:書評 https://goo.gl/YMncQk #『現実宿り』
参考ページ:ブログ https://goo.gl/YMncQk #『現実宿り』

 

現実宿り

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