子どものヌーソロジー
邪悪なる想念の関与。それは戦争へと人を向かわせる力に代表されるだろうが、それが、「子供」に集中化してきている気配がないだろうか。
人間はだいぶ利口になり、そうそうには邪悪なる想念の力を受け付けなくなってきた。いわばコツが分かってきた。
しかし子供はほとんど無防備である。しかし、多くの情報にさらされ、知的には大人と変わらなくなっている。つまり、迷いのファクターが生じている。
子供に邪悪なる想念のつけ込むスキができる、というのか、いわばそういう状況のセッティングが、子供や学校という場をめぐり、顕在化してくるのだろう。
というかそれはすでに、かなりのところまで入り込んでしまっていると考えた方がいいのだろう。
その意味で、かなりたいへんなのは、クリアーな意識をもっている教師、そしてお母さん方である。
過剰に防衛的となるのは無理もないといえる。
従来なかった子供の精神病のようなもの、ウツ病のようなものも増えてきているのではないか?
悪想念の入り口は、漠とした不安感のようなものであろうが、それが、子供、幼児にすらかなりの程度で生じる、そんな時代が来ているのかもしれない。
(あるいは、そのような不安をあたえる周囲の状況。「お前は◯◯だ」みたいな、大人側からの決めつけ。)
社会において、子供という弱い部分を突かれているわけで、その意味でも、子供に対する、自我の力の強化、意志の強化といったものが必要なのかもしれない。
ただ、この国にはこの国の風土や流儀といったものがあるだろうから、欧米流のそれを摸倣しただけでは、スムーズに行かないであろう。
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子供のためのスピリチュアリズム。といったものがあるのかどうか。
その意味では、しおりちゃんなどは、その再先鋒といえるのかもしれず、自分で自分を守るための言葉を日々開発中といった側面もあるのかもしれない。
子供たちが作ったくすりを、大人も飲み出す、ということもあり得る。
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整理:
大人側、とくに霊性の目覚めてきた成人に関しては、ひろく霊的な知識が行き渡った結果(その人の体質に合わせた様々な処方箋、エクササイズ)、悪想念の勢力の影響が、無防備な子供に集中してくる。
その結果、子供自らの感性と言葉で、悪想念の勢力と対峙する必要性が出てくる。その再先鋒としてのシオリズム(子どものヌーソロジー)。
子どものヌーソロジーとしてのシオリズムが、他ならぬ子どもたち自らによって創り上げられることで、それを大人が服用することで良い効果がもたらされる局面も出てくる。
ただおそらく、子ども世界への必要以上の介入は、あまり歓迎されないだろう。いわば「子どものふりをして子どもに」というやつだ。
まあ、子どもとも思えんが(笑)
でもやっぱり子どもなんだろうからね。
画像:「対立する大人のエゴの中で進む、インナーチャイルド同士の和合、共生。」