祖霊、人間の親神としての蛇
旅のおともに「日本人の死生観(吉野裕子)」をチョイス。
-引用-
原始の人々はほとんど例外なく蛇を神として信仰してきた。その理由はきわめて単純素朴、脚なしの蛇が滑るように地上をゆくという不思議さではなかっただろうか。(p.12)
-引用-
逆に人間を決定づけているのは足かもしれない。
旅する動物=人間。
誰もが足が動かないと家に閉じこもってウツ病のようになる。
しかし、蛇を見ると、その確信がまんざらゆらぐ。
自由自在ではないか!
いわく、
「足がないというよりも、全身これ1本の足、しかも万能!!」。
-引用-
蛇の動きをこの目で追うとき、見れば見るほどあやしく不思議である。人の心を誘い込む魔力、磁力を秘めていて、ぬるぬるとしたその動きはやがて脅威となって、直接に感情にうったえかけてくる。
-引用-
然り。
なんらかの生命の根源的な情動部分を、直接に刺激する。
「蛇!! キャー!! いやだぁ、気持ちわるい!!」
愚か者の盲目さなり。
-引用-
動きの他に、とりわけ頭部から尾部まで一本棒になった蛇は、その身体全体で男根の様相を呈している。そこに古代人は、生命の根源を感じ、祖霊として蛇を崇敬するにいたったと思われる。
-引用-
男根であり、とぐろを巻けば女陰となる。両性具有の様相を呈する。
男根相似という側面ばかりでなく、「ひとつの線」としての蛇の全体像は、「胎児や死者がもっとも近い霊の世界」におけるもっともシンプルな、基本的な構成を為している、という認識である。
もっとも原始の形而上学と言える存在である。
人間を創った当の祖霊が、蛇であるということ。
-引用-
人間とは「仮に人の姿となっている蛇」である。それは本来、蛇であるがゆえに、祖霊蛇の領する他界から来て、他界に帰すべきものであって、その生誕は蛇から人間への変身であり、死は人から蛇への変身である。(p.4)
-引用-
人間の霊の本質が蛇であるならば、その蛇の本質は、死と出産の時に顕れるということ。