北陸、越(こし)の国 石川=加賀の国の特殊性

 


自分は新潟にいますが、

越前(えちぜん)…福井、越中…富山、越後…新潟、

という“越(こし)の国”は、

なにが“越して”くるのかと言うと、

半島の人たちが越して来る地域だ、という説があり、

 

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北朝鮮工作船が、海なり、潮なりにたどり着いて、新潟で拉致事件を起こしていきましたが、

大昔も、潮なりに着くと、越の国にたどり着くということであり、ここに半島経由の入植者のベースがあったわけで、

これは、円墳として残されていますね。

日本型の前方後円墳の前の形式。

 

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奈良、京都の、近畿地方にヤマトという、日本の中心があって、

石川県に金沢、“小京都”があって、

みたいな説明のされ方がありますが、

それ以前に、半島の先進文化は、越の国に越してきて、そこで拠点を作ったということがあった。

それが京都の方に降りて行くルートがある。


帰化人は、前期に渡ってきた新羅系と、後期の百済系があると、

ネット検索すると出て来ますが、

帰化人とは、半島から技術をたずさえて列島に来て、居着くようになった人々の集団…

越の国の北陸から、下の方に移動していったのか、“国津神系”、つまり、新羅系、

北九州の方から畿内の大和の方に進んだのが、“天津神系”、百済系だと。


“半島からの使者が、北陸経由で都…奈良、京都…へ向かう時に、越えなけらばならない国と言うことで、北陸4県(福井県新潟県)をまとめて「越の国(こしのくに)」と呼ばれていたようだ。”

 

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石川県=加賀(かが)国だけが、北陸なのに、“越の国”から除外され、

単独で加賀国である、という点ですが、

加賀国の特殊性は、“加賀白山”があるからではないですかね。

 

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加賀白山を中心とする白山信仰が、

半島の“白頭山信仰”と関係があるというのを追いかけている有名な在野の研究者がいますが、

白山神社白山信仰をやっているのは、関西では、部落の人たちだということだそうです。


これは要するに、

まず、半島から先行してまとまって入植した人たちが、白頭山信仰をもっていて、北陸に入った時に、白山を、聖地にした、と。

そして、後から入って来た百済系の人たち、つまり天津神系が、国津神系とイクサをして、勝った時に、


国津神系の、土着の文化と合体している白山信仰的なものを、

…土着の山信仰~蛇信仰との合体。“加賀(かが)の旧名はカカ、カカは蛇の古語”…

いったん継承したが、仏教が広まると、それが要らなくなって、


結果的に、国津神系の祭儀に関連していた芸能者や信仰者が、

結果的に差別されていく、という流れになっていった、と。

おばあちゃんと孫、コロナウィルス、深部の身体文化の伝承の切断?

老人と子供~孫の触れ合いが禁じられるのは確かに悲劇かもしれない。考えられるのは、おばあちゃんの孫への触れ合いが、基本的な身体レベルでのコミュニケーションのあり方を深部で規定していることで、

 

母親はやはり、目的的なところがあるが、おばあちゃんは目的なく、孫を抱き、また、身体における霊的な成熟度が年齢と経験により高いので、影響力がなにげにあるかもしれない。

 

年寄りがいる家庭といない家庭。年寄りは、目的なく、そこに居る、座敷わらし的存在であり、逆に言えば“存在力”がある。それにより、年寄りのいる家庭で育った者は落ち着きがある。

 

そのレベルで、おばあちゃんと孫の触れ合いを禁じることは、深いレベルでの身体の文化伝承を切断し、何か新しいものを顕わにしていく働きがあるかもしれない。

 

“舞踏”というのは、その意味で、文化のない老人のようなもので、...すべての新鮮な経験が“今”に重なる...“翁”が、老人であり、また、子供であるところの“童翁(わらべおきな)”たる点も、そこと関係がある?

 

子供向けの舞踏、老人向けの舞踏、...なんてものが必要になってくるかもしれない(笑)

ψ1-2=視覚、ψ3-4=触覚、ψ5-6=聴覚、としてみる

自分の感覚としては、視覚、触覚、聴覚は、

ψ1-2、ψ3-4、ψ5-6に関係するのではないか。

…というか、今とりあえず、そのように考えてみる。

ψ1-2、ψ3-4、ψ5-6、ψ7-8と、“人間の元止揚空間”を構成している。

単純に、ψ1-2~ψ7-8とか、あるいは単に、ψ7-8と表現されることもある。

人間の元止揚空間とは、人間の“無意識構造”のことだと言う。

 

図:人間の元止揚空間ψ1-2~ψ7-8

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・・・・・・

これは単純にいえば、外部認識としての“表相=点=見られるもの=対象性”ということと、

それに対する内部性のことである。

その対比である。

外部性は、対象化であり、それは視線による認識の構成ではないだろうか。

現代のメディアは、視覚中心主義となっている。

認識が外部で構成され、そこで客観性が担保されている社会である。

事故が起きれば、映像的な論拠が求められる。

西洋文明は、キリスト教における、正統と異端をめぐる訴訟の歴史であるから、映像化としての外部化の技術が進み、

アメリカの歴史なども、ハリウッドの西部劇のような、眼に見えるかたちで論拠をもたされている。

・・・・・・

外部性は、ψ1-2であり、表相であり、点認識~対象化認識であり、視線による構成であり、

それが、表層的な意識であると考えていいのではないか。

これに対して、ψ3-4、ψ5-6は、意識の内部性を指向している。

つまり、無意識である。

現代文明は、西洋~キリスト教が先導するかたちで、映像的な、外部の、表在的な意識を論拠として構成されている。

(これはもともと、ユダヤ人の文化に発している。ユダヤ人が、そのアイデンティティーとする旧約聖書の世界は、映像=ビジョンの世界である。)

ψ1-2=視覚、ψ3-4=触覚、ψ5-6=聴覚として、これらが“無意識世界”では一体となって、意識のグラデーションを構成しているとする。

純粋な、視覚、触覚、聴覚というのは、無い。

原則的には、人間の感覚とは、互いに協働(きょうどう)するものだと言われている。

…つまり、ψ1-2=視覚に寄ると、外部化~外在化に寄り、ψ5-6=聴覚に寄ると、内部化~内在化される、ということだろう。

中間のψ3-4=触覚は、その外部⇔内部性の中間性であり、それをとりまとめる働きではないか。

つまり、触覚~皮膚感覚には、点的、面的、球面的、という変化があり、

それが点として、視線と協働する時、ものを対象化し、視覚中心性としての認識を構成する。

(現代の都市的人間は、ほとんどの知覚を、このように使っている。)

面的であるとは、皮膚感覚的な世界であり、…近接的なプライベート空間…、だっこしたり、握手したり、ハグしたり…

(眼を閉じて“色(しき)”の世界から離れ、瞑想し、お経を詠む、…としたが、その時、座禅や正座をやって、触覚~皮膚感覚は“面”化していると考えられる。)

球面的となるのは、風呂に入ったり、瞑想する時だろうか。

音楽体験は、空間的な波動体験であり、球面に近い。

ほんとうの音楽は、球面としての体表の全体性で感じ取るものだろう。

ロックのライブでは、大音響と音圧により、ほとんど強制的に、球面化が為されると考えられる。

行ったことがないが、“クラブ”のホールなどの音も同様であろう。

mp3の音源には、そのような体表的な要素が無いということはよく言われる。

 

※1-2=視覚、ψ3-4=触覚、ψ5-6=聴覚というのは、あくまで、ここでの試論であり、確定的なものではまったくない。


参考ページ:

““表相”について”
http://hahaki889.hatenablog.com/entry/2020/03/11/%E2%80%9C%E8%A1%A8%E7%9B%B8%E2%80%9D%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6

“表相”について

●妄影 人間にとっての目に見えるものすべて。

●音 共性された次元における力。重心が作り出すもの。

 

これは、ヌース辞書からの引用である。

人間の眼~視覚が、“妄影”を構成していると書いてある。

これは、仏教的な、人間の意識における迷妄、つまり“色(しき)”の概念に近いのだろう。

人間の意識は、視覚的対象化としての色(しき)の世界に落ちることで、その迷妄を生きているということ。

よって、仏教では、眼を閉じて…瞑想…お経を詠じて、より高い意識である音声の世界に入る。

・・・・・・

ヌース用語の基本に“表相(ひょうそう)”がある。

これは、視覚と関係している。

 

●表相 人間にとっては特定の角度から見た一つの対象の見え姿(瞬間性)に対応する。

 

人形に視線を向けると、そこに人形の正面像が映る。

これが、表相である。

人形を手にとって、クルッとひっくり返しても、そこにはまた、“表相”がある。

子供のころ、人形の裏に、なにかがあると感じられた。

しかし、ひっくり返すと、そのなにかは消えてしまう。

大人になると、それは当たり前となる。

前には前の表相があり、裏には裏の表相がある。

・・・・・・

(子供のころに感じられた、裏としての実像を、“表相の対化”という。表相における表と裏が“対化”していて、それがそのまま、

“私の表相”と、その裏側にある“あなたの表相”という、“自己と他者との表相の対化”を、

表相は、原理的に構成しているというのが、ヌーソロジーに独特の考え方である。

子供は、3次元化としての対象化の認識のあり方にまだ囚われていないので、4次元空間としての“表相の対化”が見えているが、

実知覚としての視覚においては、正面をひっくり返せば、それは裏としての正面=表相であるので、

表相の対化は、直観的な、ある種の未然性の中にたたずんでいる、という状態があるといえる。)

参考ページ:

“点の中の世界”
http://hahaki889.hatenablog.com/entry/2020/03/11/%E7%82%B9%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C

点の中の世界

オコツトの話で印象深いのは、“人間の意識は“点”の中に入っていて、よく見えない”という話。

つまり、人間の3次元空間的な認識は、“対象的”なものであり、それは、対象化される点、対象点をめぐっている。

つまり、そういう、対象としての質点である、モノ~物質をめぐっている。

そういう意識~認識のあり方が、“点の中の世界”ということである。

人間は、3次元空間の内部で、点~線~面~立体、といったものを構成しているが、オコツトからすると、それは“点の中のできごと”である。

逆に言えば、オコツトたちは、それ…人間の認識世界の全体性…をひとつの点として、さらにそこから、線~面~立体を、“高次元空間”において構成しているということになる。

・・・・・・

ヌース風の言い方では、こういう言い方になる。

点として、対象化された世界は、“見られている”世界である。

それは、“点の中”にある。

(…あるいは、それはすべて点である。対象化されたものとしての同一性の中にある。点とか線とか面とか言っても、実は、3次元空間においては、本質的な意味での、次元としての階層的な差異を有してはいないのだ…)

…そして、その点を“見ている”ところの、当の、人間の、主観性としての“意識”そのものは、そのような“意識線”として、

対象=点という次元を超える、性格をもっている、と。

これが、“見る”こと。見る意識である、と。

“見られている意識空間”は、点~対象の世界であり、…3次元空間

“見ている意識”は、そのような3次元空間を覗き込んでいる“意識線”として、3次元空間の外部としての、四次元空間的な成分をもっている、と。

そして、その“見る意識”としての意識線の、起こっているその根元の場所を、

無限遠点(むげんえんてん)”として置く、という発想。

・・・・・・

以上は、ヌーソロジーの基本と思う。

で、自分が“?”と思っていたのは、見ること、つまり視覚認識をめぐって、対象化された世界としての、点認識の世界が、3次元空間を構成する、

という話は納得できるとして、

そこを脱するところの、“4次元空間”の方向までもが、なぜ、視覚的に説明されねばならないのか、という点であった。


●視覚、触覚、聴覚

人間の五感において視覚が最も次元が低いのでしょうが、その他の感覚についてはどのように考えればよいのですか。

視覚、味覚、嗅覚、触覚、聴覚の順となります。

交信記録 19900908


●妄影 人間にとっての目に見えるものすべて。

●音 共性された次元における力。重心が作り出すもの。

 

 

 

 

オコツトとマスミモ

現在、ヌーソ○ジーでは、日本の伝統思想との対応を迫られているのだろう。
“オコツト”は和語で読めるのではないだろうか。

古語のオコは、“起こる”の意味らしい。

オコツトがOCOT(オコット)になっているのは、ヌーソロジーの世界観が“哲学仕立てのSF”になっていることに関係しているらしいが、

もともとヌースが日本が苦手だという話も聞く。

ヌーソロジーが立ち上がった当時、古神道ブームがあって、

とくに、ひつき神示の“マルチョン”…◯にヽ…ヌースの“円心”に類似性があるので、質問が多かったのではないか。

画像:中矢伸一著。1991年。

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その時おそらく、“オコツト”や“タカヒマラ”の語に関する質問や意見が多く、辟易させられてしまったことから…とくにタカヒマラのマラと日本の性器信仰との関係など…

オコツト→OCOT、タカヒマラ→ケーブユニバースと、リニューアルし、世界観を更新したのだろう。(人類が神を見る日→シリウス革命)

・・・・・・

ヌースの基本は“対化”なので、“オコツト”という存在もまた対化~ペアなのではないかと思った人もあるかもしれない。

実際に“マスミモ”というのがいる。

マスミモは、和語だろう。とくに、“マスミ”というのは、すぐ、和語だと感じられる。すると、オコツトもそうなんだろうと、なる。

それが嫌だったのではないかね、昔の、日本嫌いのヌーソロジーは。

結果、マスミモの名前を抹消し、オコツトを“OCOT”にしたのか?

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・すむ〔清、澄〕 停止した状態がつづいて、ものごとが透明になることをいう。大気や水が清浄となること。

・おこる〔起・興〕自動詞「起く」の派生形。「行ふ」と同根。起きた姿勢で行為することをいう。(字訓/白川しずか)

・おこたる〔怠・倦〕 「おこ」は「行ふ」「起る」と同根。継続的になされている行為が、ある段階から低下してくることをいう。「起る」「興る」に対して、逆の方向にあること。

・おこなふ〔行・挙〕 身を起こして行動する。元気にことを為すことを言う。「おこ」は「起(おこ)る」「興(おこ)る」と同根。また「息(いき)」の母音交替形であるから、活動的にたちはたらく意である。「おこなひ」はその名詞形。

「おこ」は「息」の母音交替形で、息をはずませ、気力を振い起して、ことにとりかかることをいう。漢字の「おこなふ」と訓する字が、行くこと、前進するという実践的行為的な意味をもつものが多いのに対して、国語は深く息づき、気息をはげますという感性的な性格の語を基調としている。

【起】巳(し)声。金文・篆文の字形はすべて巳に従っており、それならば蛇が頭をもたげてゆく意である。坐して起(た)つときの動作をいい、それよりすべてことを始める意となる。[訓義]1.たつ、たちあがる、おきる。2.ことをはじめる、つくる、たかまる。

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身体の内部空間が、空間観察子αの次元に関係している?

●転換作用 顕在化した変換作用の反映。位置の転換、力の転換を総合した言い方。

・位置の転換 ヒトの外面として作用しているカタチを顕在化させること。形質を作り出すこと。


“位置の転換”が、“ヒトの外面におけるカタチの顕在化”を促し、そのことが“形質”を作り出しているという点に注目する必要がある。“人間の最終構成”の説明に、“人間が反対を見い出し変換人化するということ”というのがあったが、これは“人間の反対”のことである。

●人間の反対 形質を持つもの。モノの中にいるもう一方の自分を人間が見いだすときに生まれる進化の方向性の力。形質が生み出されることによって付帯質の外面から付帯質の内面へと次元が変わり表相が中和され、人間の最終構成が生まれる。

変換作用の反映として…性欲の変質がそれを促す…転換作用が引き起こるが、その転換作用では、ヒトの外面において作られる“カタチ”が“形質”を作る。つまり、“ヒト→人間の反対”のルートで、“カタチ→形質”という“次元降下”が為されるということである。

そして、そのように降下した“形質”が、再び、人間の反対として人間の意識に関与することで、そこである種の“意識の錬金術”のようなものが起きて…身体的な領域である…そのことが、再度、“最終構成”を促すという、循環性の回路になっているということが分かる。

・・・・・・

これは、前から思っていることなのだが、ヌースには、変換系と転換系があるのではないかということ。変換系は、理論派であり、科学的な知見を前提にし、“理念~イデア的な思考”に取り組んで、科学としての物質知を、霊的な次元へと変換している、と言う。

一方、転換系の人たちは、理論派というよりも、直観派であり、“身体”ということをベースに思考したり、体を動かしたりする。これは、ヒトの外面で作られる“カタチ”が、人間の反対の意識ルートで“形質”として、転換~次元降下することで、ふたたび、“原点”に戻って、…変換⇔転換のループのことである…変換作用の入り口である“人間の反対最終構成”の持続性を“支える”という構造があるように思う。

そのような意味で、私見では、“オリオンのNOMI”というのが、その意味での“転換系”の働きを象徴し、そこで、実質的に、“最終構成”が、H氏個人の中で為されており、それを前提に、“顕在化の意識”に入ることで、超心点=ゼロ次元に居るオコツトとマスミモに、コンタクトできたのではないだろうか。

NOMIで語られている内容は、端的に、舞踏体験であると私には思われる。それは、“体表”としての負荷を、最小精神=ψ3に送り出すところで、終わっているだろう。

これは、ククリヒメの水を用いた禊ぎの儀礼によく似ている。黄泉国からの地上へと次元降下するイザナミへの進言。“白す=知らす”とは、原初への回帰であり、その具体性は、形質と、表相の中和の働きと見れば、白山神社菊理姫~ククリヒメとは、“人間の反対”と関係があるということになる。(白山系は、土着系~縄文系の信仰である。白いとは、原初だというニュアンス。)
●体表(たいひょう) 人間の意識において最初に顕在化する4次元性のこと。最小精神ψ3が持つ負荷。正四面体の高さのイデアに対応する。正四面体とは一つのモノの認識のカタチ。ヌーソ○ジーでは、三次元性は立体ではなく面と見なされる。真の立体は四次元性にあるということ。 https://pic.twitter.com/LZmJ04wv39

●人間の反対 形質を持つもの。モノの中にいるもう一方の自分を人間が見いだすときに生まれる進化の方向性の力。形質が生み出されることによって付帯質の外面から付帯質の内面へと次元が変わり表相が中和され、人間の最終構成が生まれる。

“最終構成”とは、すでにあり、終わったものでなくて、変換作用のプロセス完了まで、そこにあり続ける、ひとつの“原初性”であり、そこには“身体の内部空間”が関係し、観察子構造としてはおそらく、“空間観察子α”に関係がある。

空間観察子αにおける、α7-8~α13-14が、人間の元止揚空間におけるψ1-2~ψ7-8と重なっている点に注意する必要がある。ここが、人間の反対が形質~表相の中和により、元止揚空間の顕在化~変換作用を押し上げている部分である。空間観察子α、つまり、身体の内部空間を使うのだと思われる。f:id:hahaki889:20200301113409j:plain

付帯質の外面が“外的対象”をめぐる意識。これが、付帯質の内面へと変質するのが、元止揚における変換作用であるが…素粒子空間と関係がある…付帯質の内面とは、“内部対象”を外部対象とに統合させる、の意味である。

この意味での“内部対象”が、身体の内部対象であり、それがそのまま、“空間観察子α”における顕在化と関係し、ここで、核心の拡散が生じて、“核質の中和”が引き起こる。“位置の開花”を起こして、“位置の顕在化”を推進していくわけである。


転換位置としての日本人。

日本人と身体。

そして舞踏。


●ノウス(NOUS/NOOS)

等化として作り出されていく力のすべて。次元が働きの方向性を変えるときに生まれるもの。止核精神を核散させ、表相の対化を顕在化させる。位置の開花を起こさせていくもの。回転力。旋回力。ノウスとヌースは全く同じ意味を持つ。

●ノス(NOS) 中和として作り出されていく力のすべて。表相を見つめさせているもの。人間に人間の外面の意識の方向をもたらしているもの。ただし、ノスは意識進化自身には交差を行えない。人間の創造活動や自我を生み出すためには必要なもの。力の抽出を操作するもの。

ノスが下次元の交差を行い、ノウスは上次元の交差を行う。ノウスの逆性が物質(人間の内面の意識)で、ノスの逆性が意識(人間の外面の意識)。ノウスとノスを等化するときに 生み出されるものが有機体ノウス。ノスは有機体。

有機体ノウス 付帯質に進化の方向を生み出させる覚醒の交差を持つ力。表相を顕在化させ総体の内面を作り出していく力。ヒトの総体が観察精神に入るときにその下次元で人間の意識をヒトの意識へと進化させていく力。人間の意識の救済を行うもの。

“表相の顕在化”とは、“表相の対化の顕在化”であり、表相の中和が表相の対化の顕在化を起こすと、最終構成が始まる。対化の等化としての変換作用。
対化の等化の、回転運動…下次元を含めたところでは螺旋運動…では、その変換の中点に、“重心”というゼロ次元が生ずる。これは、身体における超心点としてのゼロ次元と重なっている。超心点⇔重心は、潜在化⇔顕在化として、相補的な関係にある。中和と等化との関係。

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参考ページ:

“ヒトの意識におけるカタチが、人間の反対における形質となって、最終構成を起こしている”
http://hahaki889.hatenablog.com/entry/2020/03/01/%E3%83%92%E3%83%88%E3%81%AE%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%81%E3%81%8C%E3%80%81%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91